富士谷御杖とは? わかりやすく解説

ふじたに‐みつえ〔‐みつゑ〕【富士谷御杖】

読み方:ふじたにみつえ

[1768〜1824]江戸後期国学者歌人京都の人。成章(なりあきら)の長男。名は成寿・成元、のち御杖。号、北辺(きたのべ)。「てにをは」を研究古事記神話の解釈新説をたてた。著「古事記灯(ともしび)」「万葉集灯」など。


富士谷御杖

読み方ふじたに みつえ

江戸中期国学者京都生。富士谷成章長男。名は成寿・成元、通称源吾・専右衛門別号北辺等。筑後柳川藩仕える。漢学伯父皆川淇園和歌広橋兼胤・日野資枝に学ぶ。文政6年(1823)歿、56才。

富士谷御杖

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/26 14:23 UTC 版)

富士谷 御杖
人物情報
生誕 明和5年??月??日(1768年????日)
日本京都
死没 文政6年12月16日1824年1月16日
日本・京都
国籍 日本
配偶者 冨士野彦三郎養女
両親 富士谷成章
:富士谷鶴
学問
時代 江戸時代中期
学派 富士谷派
研究分野 国学
特筆すべき概念 言霊倒語論
主な業績 形而上学的な解釈学
主要な作品 『真言弁』
『古事記燈』
『詞葉新雅』
『北邊随筆』
影響を
受けた人物
皆川淇園
広橋兼胤
日野資枝
主な受賞歴正五位
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富士谷 御杖(ふじたに みつえ、明和5年(1768年) - 文政6年12月16日1824年1月16日))は、江戸時代中期から後期にかけての国学者。名は初め成寿(なりのぶ)・成元(なりはる)、その後御杖に改めた。号は北辺・北野。通称は源吾(吉)・専(千)右衛門。

概要

富士谷成章の長男として京都に生まれる。筑後国柳河藩立花氏に仕え、漢学を伯父皆川淇園和歌を広橋兼胤、日野資枝に学んだ[1]

柳河藩では京都留守居役を務めており、文政2年(1819年)の石高は200石[注 1]。しかし、晩年に妻との離縁や半身麻痺などの多難となり[2]、不行跡のため解任されている[3]

墓所は京都北区上品蓮台寺。享年56歳[4]

昭和3年(1928年)、正五位を追贈された[5]

業績

御杖は父の跡をついで国語学を修め、主として「てにをは」について詳細に研究した。その結果として言霊倒語論を提唱し、これに基づいて次々と新しい解釈を打ち出した。例えば歌論書『真言弁』は、思想行為和歌の関係について述べている[6][7]。また、『古事記灯』は本居宣長の「『古事記』は言霊の霊妙な力によって古代人の心を様々な説話として表現したものであるから、そこに記載されている事柄は実在する事実」という日本神話についての解釈を「不合理である」と批判したもので、『古事記伝』の批判書としては最も早いものである[8]

このほかに「北邊随筆」という随筆も著している[9]。また、琴曲にもすぐれた。

しかし、御杖の学問は過剰なまでに人間の欲望にこだわるあまり、当代の人々と共有できる公共性を持ち合わせておらず、「難解で奇異な議論」として国学が隆盛した幕末期においても等閑視された[10]。こうして半ば忘れられた存在となっていたが、近代において土田杏村が高く評価して以降、改めて言説が注目されるようになっていった[11][12][13]

家系

  • 父:皆川成章
  • 母:富士谷鶴(後に「千重」と改める)
    • 富士谷御杖(成寿)
    • 妻:冨士野彦三郎養女
      • 歌(後に「佐津」と改める)
      • 千太郎(文化元年5月15日没)
      • 女子(文化2年5月早世・3歳)
      • 男子(文化3年8月早世)
      • 女子(幼名:歌、妾腹、文化12年生、浪華神田家の養女になる)
      • 千之助(幼名:成文・元広、妾腹)

著書

  • 百家類葉 1792
  • 歌袋 1793[14]
  • 古事記燈 1805〜
  • 古事記燈大旨 1807
  • 真言弁 1802
  • 百人一首燈 1804
  • 万葉集燈 1809〜
  • 土佐日記燈 1816
  • 伊勢物語燈 1816

著書の記載は特記なき限り「年譜[15]」より。

脚注

注釈

  1. ^ 「文政二卯年七月侍帳」の小姓組に『同(高)弐百石 京都 富士谷千右衛門』との記載がある。

出典

  1. ^ 多田淳典 (1990), p. 39.
  2. ^ 京都大事典 (1984), pp. 786–787.
  3. ^ kotobank
  4. ^ 多田淳典 (1990), p. 239.
  5. ^ 田尻佐 (1975), p. 56「特旨贈位年表」
  6. ^ 今野真二 (2020), p. 161-167.
  7. ^ 今野真二 (2023), pp. 287–298.
  8. ^ 田中康二 (2015), pp. 36–45(初出は田中康二 2013
  9. ^ 富士谷御杖『北邊随筆』、日本随筆大成 巻8 吉川弘文館、1927年、7~124頁
  10. ^ 東より子 (2016), pp. 158–159(初出は東より子 2003
  11. ^ 東より子 (2016), pp. 159(初出は東より子 2003
  12. ^ 今野真二 (2020), p. 160.
  13. ^ 今野真二 (2023), pp. 278–280.
  14. ^ 安藤正次旧蔵資料”. 東京都立図書館. 2023年1月18日閲覧。
  15. ^ 多田淳典 (1990), pp. 225–229.

参考文献

  • 柳川市史編集委員会 編『柳河藩立花家分限帳』福岡県柳川市〈柳川歴史資料集成:第3集〉、1998年3月。 
  • 田尻佐 編『贈位諸賢伝』(増補版・上)近藤出版社、1975年。 
  • 佐和隆研・奈良本辰也・吉田光邦・赤井達郎・宗政五十緒・村井康彦・森谷尅久 編『京都大事典』淡交社、1984年11月。ISBN 4473008851 
  • 多田淳典『異色の国学者富士谷御杖の生涯』思文閣出版、1990年12月。ISBN 4784206345 
  • 田中康二『本居宣長の国文学』ぺりかん社、2015年12月。ISBN 9784831514257 
    • 田中康二「『古事記伝』受容史」『神戸大学文学部紀要』第40号、2013年3月、1-35頁。 
  • 東より子『国学の曼陀羅:宣長前後の神典解釈』ぺりかん社、2016年4月。ISBN 9784831514356 
    • 東より子「富士谷御杖の神典解釈:「欲望」の神学」『季刊日本思想史』第64号、ぺりかん社、2003年9月、100-124頁。 
  • 今野真二『言霊と日本語』筑摩書房ちくま新書1531〉、2020年11月。ISBN 9784480073501 
  • 今野真二『日本とは何か:日本語の始源の姿を追った国学者たち』みすず書房、2023年5月。ISBN 9784622095972 



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