五十嵐篤好とは? わかりやすく解説

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五十嵐篤好


五十嵐篤好

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/29 09:56 UTC 版)

五十嵐 篤好(いがらし あつよし、寛政5年12月1794年1月) - 万延2年1月24日1861年3月5日))は江戸時代後期の越中国砺波郡内島村(現富山県高岡市東五位)の十村肝煎(庄屋にあたる村役人)、国学[1]。号は臥牛斎・雉岡。十村としては五十嵐小豊次と名乗り、国学者としては篤好と称していた。本居大平富士谷御杖らに師事。『天朝墨談』『歌学訓』『伊勢物語披雲』などの著作がある。和算や測量にも通じ、「新器測量法」を著した。文久元年(1861年)、67歳で没した。


  1. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 79頁。
  2. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.57


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