1942年 ラバウル方面
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「第二十号掃海艇」の記事における「1942年 ラバウル方面」の解説
1942年3月10日、第四艦隊第八特別根拠地隊に編入。軍隊区分R方面防備部隊海上部隊に配され、第三十駆逐隊司令の指揮下で船団護衛、航路啓開等に従事。ブーゲンビル島の攻略時は隊内区分根拠地海上部隊に配され、第十四掃海隊司令の指揮下で行動。ラバウル方面で護衛、輸送等に従事。 4月1日、艦艇類別等級別表の掃海艇の部中に第十九号型が新設され、その2番艇に定められる。10日、第八特別根拠地隊は第八根拠地隊に改編。12日、第八根拠地隊附属となる。5月22日、門司行き船団(3隻)を護衛しラバウル発。赤道付近まで護衛し24日に船団から分離。25日、船団はアメリカ潜水艦トートグの攻撃を受け海軍徴傭船彰化丸を撃沈された。6月17日、ガダルカナル島へ設営隊を輸送するためラバウル発。24日ラバウルに帰着し、以後はラバウル方面での護衛に従事。 7月14日、第八根拠地隊は第八艦隊隷下となる。8月16日、南海支隊を載せた船団を護衛しラバウル発。20日までバザブア攻略に従事。以後の8月中はブナ方面で行動。
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