馬來部隊本隊とは? わかりやすく解説

馬來部隊本隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 01:04 UTC 版)

狭霧 (駆逐艦)」の記事における「馬來部隊本隊」の解説

太平洋戦争開戦時狭霧所属は、第一艦隊第三水雷戦隊司令官橋本信太郎少将旗艦川内)・第20駆逐隊駆逐隊司令山田雄二大佐朝霧夕霧天霧狭霧であった。さらに馬來部隊指揮官小沢治三郎南遣艦隊司令長官旗艦鳥海)、第七戦隊司令官栗田健男少将)、第三水雷戦隊司令官橋本少将)、第四潜水戦隊司令官吉富三少将)、第五潜水戦隊司令官醍醐忠重少将)、第十航空戦隊(司令官今村少将)、第二十二航空戦隊(司令官松永貞市少将)、第九根拠地隊司令官平岡粂一少将)、第十特別根拠地隊司令官戸苅隆始中将)を構成していた。 1941年昭和16年11月27日南遣艦隊司令長官小沢治三郎中将は、海南島三亜港で南遣艦隊旗艦練習巡洋艦香椎から、高雄型重巡洋艦3番鳥海第四戦隊より派遣)に変更する同日迄には、馬來部隊水上戦力(第三水雷戦隊を含む)は三亜集結していた。12月4日馬來部隊指揮官小沢中将鳥海座乗)は、マレー半島上陸船団出港見届けて三亜港を出撃狭霧鳥海の直衛艦として行動を共にした。 12月8日太平洋戦争勃発すると、第20駆逐隊含め第三水雷戦隊タイシンゴラ上陸に向かう輸送船団護衛及び支援任務従事した。ただし、本艦馬來部隊主隊(鳥海狭霧)として行動した第三水雷戦隊本隊とは別行動)。マレー沖海戦においても、馬來部隊主隊2隻(鳥海狭霧)は同一行動をとった。12月9日午後9時30以降日本軍陸上攻撃機3機は夜間索敵行中に暗黒海面白々と二条航跡と黒い艦影二つ」を発見する。これをイギリス東洋艦隊判断した陸攻は吊光弾投下、さらに『敵見ユ』を打電した。この艦影は、夜戦誘致のため索敵行動中の鳥海狭霧だった。小沢中将は「我レ鳥海」を信号したものの、陸攻鳥海狭霧敵艦隊と判断したまま触接続行する小沢中将鳥海)は北方避退開始するとともに中攻三機鳥海上空ニアリ」「吊光弾下ニ在ルハ鳥海ナリ」を第一航空部隊司令部打電、これを受けて二二航戦司令官松永貞市少将が「味方上空、引返セ」を命じ一幕もあった。翌10日イギリス東洋艦隊戦艦2隻(プリンス・オブ・ウェールズレパルス)は陸上基地航空隊により撃沈された。

※この「馬來部隊本隊」の解説は、「狭霧 (駆逐艦)」の解説の一部です。
「馬來部隊本隊」を含む「狭霧 (駆逐艦)」の記事については、「狭霧 (駆逐艦)」の概要を参照ください。

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