馬憑きとは? わかりやすく解説

馬憑き

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 00:50 UTC 版)

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馬憑き(うまつき)は、死んだが人に取り憑いて苦しめるという日本の怪異。

概要

仏教説話集『因果物語』、江戸時代随筆新著聞集』などにみられる怪異で、明治時代の民俗学者・早川孝太郎の著書『三州横山話』にも記述がある。

多くは、馬を粗末に扱った者が馬の霊に取り憑かれ、馬のように振る舞い、最後には精神に異常をきたして死ぬというものである。妖怪研究家・多田克己は、仏教国としての日本ではかつて、獣を殺したり獣肉を口にすることは五戒に触れ、殺生を行なった者は地獄に堕ちるといわれた俗信が、これらの憑き物の伝承の背景にあるとの説を述べている[1]

『因果物語』
江戸時代の三州中村(現・愛知県田原市赤羽根)に太郎介という男がいたが、彼は若い頃、馬同士の争いを止めようとして、誤って馬を殺してしまったことがあった。その40年以上も後、40歳代半ばになった太郎助は突然、馬屋に入って馬のように鳴き、雑水を飲み干し、死んでしまったという[2]
また、同じく三州の江村とおいう地に住む受泉という法師は、若い頃に馬工郎(馬を扱う仕事)として働いていたが、寛永16年(1639年)の春から突然、目をむいて嘶いたり、桶から雑水を飲んだりといった、馬のような挙動を始めた。周囲の者は初めは悪ふざけだろうと思っていたが、その挙動は馬そのものであり、到底悪ふざけで行えるものではないということになった。周囲が心配して見守る中、まもなく死んでしまった。周囲は、法師でありながら若い頃の仕事の行いが悪かったため、生きながら畜生道へ墜ちたものと話したという[2]
『新著聞集』
阿波国(現・徳島県)の国主・松平阿波守が、あるときに飼い馬をひどく虐待したところ、馬は病気で死亡した。すると間もなく馬屋の者が「殿様は馬を十分に飼い馴らすまで馬に乗らないと言っていたが、殿様は俺を偽り、責め立てて殺してしまった。この怨みはいつか晴らす。思い知れ!」と叫び続け、精神に異常を来たしたまま死んでしまったという[3]
また武蔵国八王子(現・東京都八王子市)では、原半左衛門という者が馬に焼印を押すことを非常に好んでいた。彼の息子・灌太郎がある年の元旦、従者と共に神社へ参拝に出かけたところ、鳥居の前で「なんと馬の血が多い場所だ。祠の前まで血だらけで足の踏み場もない。参拝どころではないので帰ろう」と言い出した。従者の目には馬の血などどこにも見えないが、灌太郎はそう言われても「血の海なのでこれ以上先へは進めない」と、鳥居の外で参拝を済ませて帰った。その日から灌太郎は病に侵され、馬の鳴き真似をするようになった。7日後に正気に戻った灌太郎は「父が馬を苦しめ続けた報いで畜生道に堕ちる羽目になった、無念だ」と言った。その後に灌太郎は再び悶え苦しみ始め、遂に死んでしまったという[3]
『三州横山話』
遠江国(現・静岡県西部)にハヤセの梅という男がいたが、馬に憑かれて精神に異常を来たして以来、三河国(現・愛知県東部)に住み始めた。50歳ほどで常に口から涎を垂らしており、馬の死の報せを聞くと、きまって自分の腕に食らいつき、その報せを追いかけた。そのために彼の腕は常に赤く腫れ上がっていたという[4]
耳嚢
播磨国姫路藩中(現・兵庫県姫路市)に村田弥左衛門という者がおり、16、7歳になる娘がいた。この娘が乱心した者のようにあれこれ口に出し、何かに恨みがあるような発言をしたため、加持祈祷をしたが効果が現れなかった。の類であろうと考えた弥左衛門は、娘にしきりに尋ねるが、「私が狐狸であろうはずがない」ときっぱり否定された。「娘の祖母が私を情けなく殺した恨みから家を祟るのだ」といい、娘を殺し、血筋を絶やすと口に出した。いかなる恨みかと尋ねると、この家に飼われていた馬だったが、老いたために乗馬の役にも立たず、草を踏むこともできなくなったことを祖母に話され、仕方がないから野に放ち、捨てろと指示され、厩橋の天狗谷という所に捨てられ、ついに餓死してしまったということを語った。役立つ時は愛したのに、役立たなくなった途端に、このような不仁をする、と不満を口にし、そしてこの恨みを報いるのだといった。そこであれこれ利害を説き、追善供養をしたので、娘の病気は治ったという。

塩の長司

竹原春泉画『絵本百物語』より「塩の長次郎」

塩の長司 しおのちょうじは、江戸時代の奇談集『絵本百物語』にある馬憑きの奇談。 塩の長次郎 しおのちょうじろうとも。

加賀国(現・石川県)に塩の長司という長者がいた。彼は自宅に300頭もの馬を飼っていたが、常々悪食を好み、死んだ馬の肉を味噌漬けや塩漬けにして、毎日のように好んで食べていた。

馬肉が尽きたある日、長司は役に立たなくなった老馬を打ち殺して食べた。その夜、長司の夢の中にその老馬が現れ、長司の喉に食いついた。

その日から、長司が老馬を殺した時刻になると、長司のもとに老馬の霊が現れて口の中に入り込み、腹の中を荒らし回る日々が続いた。その苦痛は相当なもので、長司は苦し紛れに悪口雑言し、自分が今までに仕出かした悪事やありとあらゆる戯言を吐き、苦しみ続けた。

医療や祈祷など様々な手段を試みたものの一向に効果はなく、百日ほど経って遂に死んでしまった。その死に様は、まるで重い荷物を背負った馬のような姿だったという[5]

馬憑きにちなんだ作品

小説

脚注

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  1. ^ 多田 1997, pp. 125–126
  2. ^ a b 鈴木 1661, pp. 207–208
  3. ^ a b 神谷 1749, pp. 281–283
  4. ^ 早川孝太郎「三州横山話」『日本民俗誌大系』第5巻、池田彌三郎他編、角川書店、1974年(原著1921年)、83頁。ISBN 978-4-04-530305-0
  5. ^ 多田 1997, p. 23.

参考文献


馬憑き

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/04 03:34 UTC 版)

東方鈴奈庵 〜 Forbidden Scrollery.」の記事における「馬憑き」の解説

第三十六話・第三十七話に登場大切な馬を粗末に扱った人間の口に頭から入り込む形で憑依し、完全にその人間を支配する馬の妖怪で、標的人間憑依し始めている時は頭が無い状態になる。

※この「馬憑き」の解説は、「東方鈴奈庵 〜 Forbidden Scrollery.」の解説の一部です。
「馬憑き」を含む「東方鈴奈庵 〜 Forbidden Scrollery.」の記事については、「東方鈴奈庵 〜 Forbidden Scrollery.」の概要を参照ください。

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