特設艦船
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特設艦船(とくせつかんせん)とは、民間船を徴用し、海軍所属の艦艇としたものである。正規軍艦の専門化が進んだ、近代以降の海軍において使われる用語である。
- ^ 『極秘明治三十七八年海戦史』(防衛研究所所蔵)第6部15巻第3篇「特設艦船の艤装」(アジア歴史資料センターRef.C05110135400)冒頭の記述。
- ^ 「海軍」編集委員会(1981年)、233頁。
- ^ a b c d e f 戦う日本漁船―戦時下の小型船舶の活躍、大内 建二、光人社 ISBN 9784769827061 (特設監視艇は第二章 漁船の戦い)
特設監視艇
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太平洋戦争中、洋上哨戒をする監視船が大量に必要になった海軍は、外洋航海が可能な漁船等の船舶を「特設監視艇」に指定して徴用した。海軍第22戦隊や各地の根拠地隊に所属させた。この特設監視艇は海軍艦艇として軍艦旗を掲げ、強力な無線機を装備して任務にあたった。北洋から赤道までその活動範囲は広範囲に及んだが、主にアメリカ海軍艦隊に対する早期警戒を目的として、日本列島のはるか東方海上の東経150 - 160度線を南北に沿う海域を中心に哨戒していた。戦争後期には、航空機警戒用に北緯30度・東経140度線付近の海域への展開も重視された。 武装は、戦争初期は小銃のみだった。一説には、目立つ武装を避けることで民間漁船に偽装する意図があったともいわれ、乗員も軍服の着用が避けられたという。しかし、中期には7.7mm機銃と迫撃砲を追加され、後期には25mm対空機銃や13mm単装機銃、さらには電探や若干の爆雷なども装備されるなど重武装化した。それでも、この程度の武装では、敵航空機や潜水艦に遭遇してもまともに戦うことができるはずがなく、多くの特設監視艇が敵発見の無電を発しながら撃沈されていった。 これら特設監視艇が命を捨てて発信した敵発見の無電だが、日本海軍がキャッチできたとしても、日米の戦力差が広がり続けている状況では効果的な迎撃が難しいため、せっかく特設監視艇の通報を受けても迎撃できなかったこともあった。 戦時下の日本の船員たちの悲劇をまとめた書籍「日本郵船戦時戦史」の文中には、「まことに弱い運命のもとにおかれた彼らは進んで戦う何ものも与えられておらず、ただ小さな船のなかでじっと死の来るのを待っているばかりであった。(中略)敵に会っても、そのなすがままに死なねばならないことは、軍人以上の精神力を必要とした」とある。 太平洋戦争開戦時の特設監視艇数は211隻であったが、407隻まで拡充され、約300隻が喪失した。
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