シーレーンをめぐる戦いと民間船員の犠牲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 00:44 UTC 版)
「太平洋戦争」の記事における「シーレーンをめぐる戦いと民間船員の犠牲」の解説
日本は日中戦争下で国家総動員法を制定して国家総力戦、戦時体制に突入していた。太平洋戦争では、漁船を特設監視艇として、商船や客船を上陸作戦や前線への補給、南方などからの資源輸送用の徴用船として動員した。米軍が開戦直後から潜水艦などで通商破壊戦を展開したのに対して、日本海軍は敵海軍との決戦に偏重し、兵站と海上護衛を軽視したまま各地に派兵し、広がったシーレーンを十分守れなかった(「海上護衛総司令部」参照)。日本民間船員の犠牲者は35,000 - 46,000人(死亡率49%)と推計されている、30,592(100トン以上の鋼製商船乗組分)、60,609人(総数)。日本列島周辺で戦没した船も多いが、現在は外国になっている海域で民間船と海軍艦艇が合計2290隻沈み、約30万人の遺骨が海に眠っているとみられる。日本政府は未回収分を水葬扱いとしてきたが、トラック島などダイビングで見られる海底にある沈没船もあり、戦没者遺骨収集推進法(2016年制定)に基づき収容を進めると報道されている。
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