日中戦争下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/02 02:47 UTC 版)
満州事変の勃発した1931年にNHKの「ラジオ体操の時間」で『独立守備隊の歌』を流したところ、それ以降『起てよ国民』『守れよ満州』といった、国民の士気を高めるような歌が流行し始める。1932年には朝日新聞社員の作った『満州行進曲』、そして第一次上海事変での肉弾三勇士を讃える歌を朝日新聞と毎日新聞で募集し、毎日の『爆弾三勇士の歌』には与謝野寛の詩が選ばれ、両社で宣伝を繰り広げた。また陸軍制定の軍歌『討匪行』は、作曲も手がけたテノール歌手藤原義江が歌って大ヒットした。1933年になると東京の人口が500万人に達した記念行事として、読売新聞の募集した流行小唄『東京祭』(門田ゆたか、古賀政男)、時事新報で『丸の内音頭』の歌詞を手直しした『東京音頭』、レコード会社競作の『さくら音頭』などを使い盆踊り大会が行われ、政府も思想善導の観点からこれを後押しし、1935年頃まで続いた。 また1933年から内務省によるレコードの検閲が行われるようになり、桂孤月の歌う『製糸情話』や、杉狂児『のぞかれた花嫁』、渡辺はま子『忘れちゃいやヨ』、二村定一『とこイットだね』などが発売禁止の処分を受けた。1940年には『湖畔の宿』(佐藤惣之助、服部良一)の時局的でないという理由で発売禁止となる。 1936年にNHKで放送された『国民歌謡』も、有馬通男『征けよますらを』(土岐善麿、堀内敬三)、渡辺はま子『愛国の花』(福田正夫、古関裕而)、東海林太郎『戦勝の歌』(大江素夫、大村能章)といった愛国的な歌も放送された。1937年の支那事変勃発からは、内閣情報局の懸賞募集した『愛国行進曲』の他、『海行かば』『露営の歌』『日の丸行進曲』といった歌が、新聞や軍によって国民歌として制定されて歌われ、講談社の制定した『出征兵士を送る歌』は陸軍に献納された。1940年には映画主題歌の『暁に祈る』『燃ゆる大空』や『国民歌謡』で放送された『隣組』が人気を呼んだ。 またこの時期の大衆歌謡としてアジアや南方を題材にした、『国境の町』『上海だより』『広東の花売り娘』『蘇州夜曲』『満州娘』といった、「大陸もの」「上海もの」「南京もの」などとも呼ばれた歌があり、歌詞やメロディーに地域性を織り込んでいる特徴があった。日本占領下の朝鮮では、『白頭山節』(植田国境子)、『鴨緑江節』などの日本民謡調のメロディーの歌も歌われていた。また1940年発売の『誰か故郷を想わざる』(西條八十、古賀政男)は、特に外地の兵士たちから愛されてヒットした。
※この「日中戦争下」の解説は、「軍国歌謡」の解説の一部です。
「日中戦争下」を含む「軍国歌謡」の記事については、「軍国歌謡」の概要を参照ください。
- 日中戦争下のページへのリンク