日銀及び大東亜省
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1922年、東京帝国大学法学部を卒業 後、先輩の世話で日本銀行に入行する。営業局次長、外国為替部次長を経て、日中戦争下の1939年に、日銀を依願退職し、上海に華興商業銀行を設立して理事となり、中華民国維新政府統治下の上海へ赴任した。 太平洋戦争(大東亜戦争)中の1942年には、大東亜大臣となった旧知の青木一男に請われ大東亜省参事官となり日本に戻る。翌1943年には汪兆銘政権(南京国民政府)下の上海へ領事館参事官として再び戻る。終戦後は日本人の引揚げに従事し、中華民国当局との交渉を行った。
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