第7、第8の哨戒 1945年1月 - 5月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 07:06 UTC 版)
「ボーフィン (潜水艦)」の記事における「第7、第8の哨戒 1945年1月 - 5月」の解説
1945年1月25日、ボーフィンは7回目の哨戒でトレパン (USS Trepang, SS-412) 、ポンフレット (USS Pomfret, SS-391) 、スターレット (USS Sterlet, SS-392) 、パイパー (USS Piper, SS-409) とウルフパック「マックズ・モップス」 Mac's Mops を組んで小笠原諸島方面に向かった。この哨戒では、この方面にある特設監視艇群を蹴散らして来るべき硫黄島の戦いを支援する第58任務部隊やB-29などへの手助けをする任務が与えられていた。2月17日、ボーフィンは2隻の対潜艦艇に対して攻撃し、第56号海防艦を撃沈した。第56号海防艦とともに行動していた他の艦艇が爆雷攻撃を行い、ボーフィンは26発もの爆雷を投下されたが無事だった。ボーフィンは対潜攻撃から逃れた後、3月2日に北緯32度52分 東経139度24分 / 北緯32.867度 東経139.400度 / 32.867; 139.400の地点で特設監視艇鳥海丸(青塚仁助、136トン)を、新型のマーク27型魚雷で撃沈した。3月19日には九州沖航空戦の援護で四国の南15マイルの地点に配備され、撃墜されたTBF アヴェンジャーのパイロットと射手を救助した。3月25日、ボーフィンは56日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投した。 4月23日、ボーフィンは8回目の哨戒で日本近海に向かった。本州と北海道の中間海域で哨戒したボーフィンは5月1日、北緯41度02分 東経144度31分 / 北緯41.033度 東経144.517度 / 41.033; 144.517の地点で輸送船長和丸(日東汽船、2,719トン)に魚雷を2本命中させて撃沈した。1週間後の5月8日、ボーフィンは魹ヶ埼灯台沖で第三大東丸(東邦水産、887トン)を撃沈。この後も哨戒するも、目標は見つけられなかった。5月15日、ボーフィンは23日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投。改修を受けた。また、訓練中に、墜落した海兵隊機のパイロットを救助した。
※この「第7、第8の哨戒 1945年1月 - 5月」の解説は、「ボーフィン (潜水艦)」の解説の一部です。
「第7、第8の哨戒 1945年1月 - 5月」を含む「ボーフィン (潜水艦)」の記事については、「ボーフィン (潜水艦)」の概要を参照ください。
- 第7、第8の哨戒 1945年1月 - 5月のページへのリンク