第6、第7、第8の哨戒 1944年10月 - 1945年7月
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「パドル (潜水艦)」の記事における「第6、第7、第8の哨戒 1944年10月 - 1945年7月」の解説
10月3日、パドルは6回目の哨戒でマカッサル海峡方面に向かった。この哨戒では主に、バリクパパンを爆撃する爆撃機搭乗員の救助任務に就いた。バリクパパン沖に向かう途中の10月11日未明、パドルは南緯01度20分 東経117度36分 / 南緯1.333度 東経117.600度 / -1.333; 117.600の地点で、石油を輸送していた2隻の500トン級海上トラックと50トン級スクーナーを発見し、砲撃ですべて撃沈した。11月1日、パドルは29日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 11月25日、パドルは7回目の哨戒で南シナ海、ルソン島方面に向かった。12月7日夜、パドルは北緯03度54分 東経111度24分 / 北緯3.900度 東経111.400度 / 3.900; 111.400の地点でシマ臨時船団を発見。まず護衛艦に対して魚雷を3本発射したが、命中しなかった。翌12月8日未明、北緯04度02分 東経111度12分 / 北緯4.033度 東経111.200度 / 4.033; 111.200のボルネオ島クチン沖にいたったところで魚雷を6本発射し、付近にいたハンマーヘッド (USS Hammerhead, SS-364) の発射した魚雷と合わせたうちのの3本がタンカー松栄丸(日東汽船、2,854トン)に命中し、松栄丸は大火災の末沈没していった。パドルは反転して「若竹型駆逐艦」に対して魚雷を4本発射し、「1本を命中させて目標を撃沈した」と推定された。直後に第43号海防艦の反撃を受け、パドルは浮上したままその場から脱出した。その後、パドルはアメリカ本国に向かうよう指示された。1945年1月18日、パドルは53日間の行動を終えて真珠湾に帰投。ハンターズ・ポイント海軍造船所に回航されてオーバーホールに入った。 5月15日、パドルは8回目の哨戒で東シナ海および黄海に向かった。この時期の日本の海上輸送は末期状態であり、残った大方の船舶も機雷で身動きが取れない状態だった。それでもパドルは、攻撃の機会に恵まれた。6月6日には北緯31度16分 東経130度10分 / 北緯31.267度 東経130.167度 / 31.267; 130.167の地点で駆潜艇を発見し、魚雷を3本発射したが命中しなかった。6月8日、パドルは北緯33度38分 東経126度22分 / 北緯33.633度 東経126.367度 / 33.633; 126.367の地点で2隻の50トン級監視艇を発見し、浮上して20ミリ機銃の射撃で撃沈した。同じ日の夜には輸送船を発見し、魚雷を2本発射して爆発も確認したが、目標に変化は見られなかった。パドルは浮上して目標を追跡したが、折から哨戒艦艇が向かってくるのが見えた。北緯34度03分 東経126度33分 / 北緯34.050度 東経126.550度 / 34.050; 126.550の地点で魚雷を2本発射し、全速力で脱出した。6月26日夜には北緯37度30分 東経123度43分 / 北緯37.500度 東経123.717度 / 37.500; 123.717の地点でも50トン級監視艇を発見し、6月27日未明に浮上して5インチ砲と20ミリ機銃で撃ち沈めた。7月2日朝、パドルは北緯38度29分 東経124度13分 / 北緯38.483度 東経124.217度 / 38.483; 124.217の地点で2隻の50トン級監視艇、2隻250トン級スクーナーと100トン級セイルボートを発見し、砲撃で一網打尽とした。最後は魚雷を1本だけ発射したが、命中しなかった。また、道中で見つけたいくつかの浮遊機雷を機銃を使って爆破した。7月18日、パドルは60日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投した。この後、8月13日に9回目の哨戒(搭乗員救助任務)で日本の本州海域に向かったが、2日後に終戦を迎えた。8月17日、パドルはミッドウェー島に帰投した。
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