第6、第7、第8の哨戒 1942年12月 - 1943年9月
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「パイク (SS-173)」の記事における「第6、第7、第8の哨戒 1942年12月 - 1943年9月」の解説
12月16日、パイクは6回目の哨戒でポラック (USS Pollack, SS-180) とともに日本近海に向かった。その道中、ウェーク島を爆撃するアメリカ陸軍航空軍部隊への支援を行う。太平洋艦隊司令部からの指示により一旦ミッドウェー島に引き返した後、12月28日に再び出撃した。1943年1月14日10時ごろ、パイクは潮岬西方、市江崎南西方で北上する船団を発見し攻撃態勢に入った。その時、護衛の水雷艇千鳥がパイクの潜望鏡を発見し、パイクに対して爆雷を投下。この際、千鳥は「体当たりして潜望鏡を破損させた」と主張した。察知されたパイクは100メートルの深深度へ避退するが、以後8時間に及ぶ爆雷攻撃を千鳥や、現場に駆けつけてきた敷設艇成生や特設掃海艇第三高島丸(宇和島運輸、131トン)、特設駆潜艇第九日東丸(日東漁業、97トン)などから受けることとなった。最初の1時間の攻撃でパイクは主電動機を破損し、コントロール盤が火災を起こした。また、エンジンルームも浸水し、その浸水を排水するポンプも破損した。おまけに、爆発のショックで外装発射管の魚雷1本が破損する有様であった。6時間後、爆雷攻撃がひとまず止んだのでパイクは潜望鏡深度にまで浮上した。しかし、上空を哨戒中の航空機が対潜爆弾2発を投下し、パイクは爆発の衝撃で70メートルの深さにまで吹き飛ばされた。水圧により、これ以上船体が持たなくなる恐れが出てきたため、パイクは周囲に敵がいなくなった頃を見計らって浮上し、全速力で海域を離れて窮地を脱した。しかし、哨戒はここで打ち切られることとなった。1月23日、パイクは48日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。艦長がルイス・D・マクレガー・ジュニア少佐(アナポリス1930年組)に代わった。 3月31日、パイクは7回目の哨戒でトラック諸島方面に向かった。4月12日に小型タンカーと中型輸送船の輸送船団に対して攻撃を行って失敗。4月13日から14日にかけての深夜、パイクは北緯01度25分 東経148度22分 / 北緯1.417度 東経148.367度 / 1.417; 148.367のアドミラルティ諸島近海で大型船2隻と小型船1隻で構成されたとみられる輸送船団を発見し、陸軍輸送船まどらす丸(南洋海運、3,802トン)を撃破した。4月23日未明、パイクは北緯04度20分 東経152度02分 / 北緯4.333度 東経152.033度 / 4.333; 152.033のトラック諸島南方で折からのスコールの中に一つの小目標を発見するも、間もなく見失ってしまう。そうこうしているうちに、この小目標、すなわち対潜掃討中の第37号駆潜艇に発見され、爆雷攻撃を受けた。この攻撃でモーター類に重大な損傷を被ったため哨戒を打ち切り、真珠湾に引き返すこととなった。帰投途中の4月25日にはサタワン環礁を偵察し、夜に入ってから3インチ砲弾21発を撃ち込んだ。5月7日、パイクは40日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 7月22日、パイクは8回目の哨戒でマリアナ諸島方面に向かった。8月5日、パイクは北緯28度30分 東経158度50分 / 北緯28.500度 東経158.833度 / 28.500; 158.833の南鳥島近海で海軍徴傭船昌寿丸(川崎汽船、1,991トン)を撃沈した。翌8月6日には、北緯21度03分 東経153度31分 / 北緯21.050度 東経153.517度 / 21.050; 153.517の地点で空母大鷹と吹雪型駆逐艦を発見する。目標は20ノットから22ノットの速力でジグザグ航行しており、やがて爆雷攻撃が始まるが、大鷹に対して外装発射管に装填分も含めた魚雷6本を発射。大鷹撃破と判断されたものの、実際には魚雷は命中しなかった。8月22日には北緯20度07分 東経138度07分 / 北緯20.117度 東経138.117度 / 20.117; 138.117の地点で6隻の輸送船団を発見し、翌23日にまたがる三度の攻撃の末、陸軍輸送船東運丸(岡田商船、1,965トン)を撃破した。9月9日、パイクは50日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。これがパイクの最後の哨戒となった。
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