第6、第7の哨戒 1942年10月 - 1943年2月
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「ソードフィッシュ (サーゴ級潜水艦)」の記事における「第6、第7の哨戒 1942年10月 - 1943年2月」の解説
10月30日、ソードフィッシュは6回目の哨戒でソロモン諸島方面に向かった。ブーゲンビル島、セントジョージ海峡方面などを哨戒し、11月13日と11月17日の二度にわたって攻撃を行って4,400トン級輸送船1隻撃沈の戦果を報じたが、この哨戒での実際の戦果はゼロだった。12月19日、ソードフィッシュは50日間の行動を終えてブリスベンに帰投。艦長がジャック・H・ルイス少佐(アナポリス1927年組)に代わった。 1943年1月9日、ソードフィッシュは7回目の哨戒でソロモン諸島方面に向かった。1月19日、ソードフィッシュは南緯05度38分 東経156度20分 / 南緯5.633度 東経156.333度 / -5.633; 156.333の地点で駆逐艦時雨と九七式飛行艇に護衛された、3隻の輸送船からなる六号輸送A船団を発見し、陸軍輸送船妙法丸(東亜海運、4,122トン)を撃沈した。10発の爆雷を投下されたが、被害は無かった。2月7日、ソードフィッシュは水上航行中に爆撃機を発見し、潜航。改めて確認すると味方のB-17であることがわかり、浮上した。改めて調査したところ、エンジンルームや電池室などに被弾しており、B-17 が誤って攻撃したものと考えられた。2月23日、ソードフィッシュは46日間の行動を終えて真珠湾に帰投。ベスレヘム・スチールに回航されオーバーホールに入った。オーバーホール中に艦長がフランク・E・パーカー少佐(アナポリス1932年組)に代わった。オーバーホールを終えたソードフィッシュは6月19日に出港し、6月25日に真珠湾に到着。しかし、6月29日に艦橋で火災が発生し、電気系統を焼損してレーダーも使用不能となった。ただちに復旧工事が行われ、工事終了後の7月下旬には訓練を再開した。
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