第6、第7の哨戒 1942年10月 - 1943年2月とは? わかりやすく解説

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第6、第7の哨戒 1942年10月 - 1943年2月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/14 14:33 UTC 版)

ソードフィッシュ (サーゴ級潜水艦)」の記事における「第6、第7の哨戒 1942年10月 - 1943年2月」の解説

10月30日ソードフィッシュ6回目哨戒ソロモン諸島方面向かったブーゲンビル島セントジョージ海峡方面などを哨戒し、11月13日11月17日二度わたって攻撃行って4,400トン輸送船1隻撃沈戦果報じたが、この哨戒での実際戦果ゼロだった。12月19日ソードフィッシュ50日間行動終えてブリスベン帰投艦長ジャック・H・ルイス少佐アナポリス1927年組)に代わった。 1943年1月9日ソードフィッシュ7回目哨戒ソロモン諸島方面向かった1月19日ソードフィッシュ南緯0538東経15620分 / 南緯5.633度 東経156.333度 / -5.633; 156.333の地点駆逐艦時雨九七式飛行艇護衛された、3隻の輸送船からなる六号輸送A船団発見し陸軍輸送船妙法丸(東亜海運、4,122トン)を撃沈した10発の爆雷投下されたが、被害無かった2月7日ソードフィッシュ水上航中に爆撃機発見し潜航改め確認する味方B-17であることがわかり、浮上した改め調査したところ、エンジンルーム電池室などに被弾しており、B-17誤って攻撃したものと考えられた。2月23日ソードフィッシュ46日間行動終えて真珠湾帰投ベスレヘム・スチール回航されオーバーホール入ったオーバーホール中に艦長フランク・E・パーカー少佐アナポリス1932年組)に代わった。オーバーホール終えたソードフィッシュ6月19日出港し6月25日真珠湾到着。しかし、6月29日艦橋火災発生し電気系統焼損してレーダー使用不能となった。ただちに復旧工事が行われ、工事終了後7月下旬には訓練再開した

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