第6、第7の哨戒 1943年9月 - 1944年4月
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「バーブ (潜水艦)」の記事における「第6、第7の哨戒 1943年9月 - 1944年4月」の解説
9月30日、バーブは6回目の哨戒で東シナ海に向かった。10月23日午後、バーブは北緯25度35分 東経126度04分 / 北緯25.583度 東経126.067度 / 25.583; 126.067の那覇の255度78海里の地点付近で発見した輸送船団を追っていたところ、九七式重爆撃機と判断された航空機を発見したため潜航し、直後に爆撃を受けるが被害はなかった。11月9日午後には、北緯24度37分 東経122度58分 / 北緯24.617度 東経122.967度 / 24.617; 122.967の地点で、4隻の輸送船と4隻の護衛艦からなる輸送船団、実際には6隻の輸送船と特設掃海艇第七利丸(西大洋漁業、297トン)が護衛するタ807船団を発見し、翌11月10日朝に北緯25度02分 東経122度23分 / 北緯25.033度 東経122.383度 / 25.033; 122.383に至ったところで浮上攻撃により魚雷を4本発射して3本が爆発し、8,000トン級輸送船を撃沈して5,500トン級輸送船を撃破したと報じたが、実際には陸軍輸送船山萩丸(山下汽船、5,426トン)に向かっていたバーブの魚雷は回避されていた。11月28日、バーブは53日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。メア・アイランド海軍造船所に回航されオーバーホールに入った。オーバーホールを終えたバーブは、1944年2月15日に真珠湾に到着した。 3月2日、バーブは7回目の哨戒でマリアナ諸島方面に向かった。3月28日朝、バーブは北緯24度25分 東経131度11分 / 北緯24.417度 東経131.183度 / 24.417; 131.183の沖大東島南方で輸送船福成丸(福洋汽船、2,219トン)を発見する。しかし、観測した雰囲気からQシップではないかと判断したため慎重に事を進める。福成丸は何らかの理由で漂流していた。バーブは夜に入り福成丸に対して魚雷を3本発射して2本を命中させて撃沈し、最初の戦果を挙げた。4月18日未明には、スティールヘッド (USS Steelhead, SS-280) と合同して、沖大東島の見張所に対して艦砲射撃を行った。4月25日、バーブは55日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投し、バーブの艦長はユージーン・B・フラッキー少佐(アナポリス1935年組)に代わった。バーブはフラッキー艦長の指揮の下、アメリカ潜水艦の中でも有数の記録を作っていくことになった。
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