第6、第7の哨戒 1944年12月 - 1945年7月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/20 18:32 UTC 版)
「デイス (潜水艦)」の記事における「第6、第7の哨戒 1944年12月 - 1945年7月」の解説
12月2日、デイスは6回目の哨戒で南シナ海に向かった。この哨戒ではシンガポールと香港間の航路遮断を命じられるとともに、機雷敷設も命じられていた。12月16日未明、デイスはインドシナ半島ガンビル島沖に機雷を敷設。直後、敷設海域のあたりから爆発音が聞こえた。3日後の12月19日、デイスは輸送船団を発見し攻撃準備に取り掛かっていたところ、4発の爆雷を投下され、損傷を受けた。12月28日、デイスは北緯12度36分 東経109度28分 / 北緯12.600度 東経109.467度 / 12.600; 109.467の地点で輸送船団を発見し、魚雷を6本発射。魚雷は4,000トン級輸送船に擬せられた2つの目標に命中し、1つを沈めて1つは損傷したと判断される。この攻撃で特務艦野埼を撃沈した。12月31日にも北緯12度55分 東経109度29分 / 北緯12.917度 東経109.483度 / 12.917; 109.483の地点で「ヒ84船団」の護衛中であった「海鷹」を発見して魚雷を3本発射したが、命中しなかった。その後、1945年1月17日にサイパン島に寄港する。1月28日、デイスは56日間の行動を終えて真珠湾に帰投。サンフランシスコに回航されベスレヘム・スチールでオーバーホールに入り、4月25日に完了した。 5月25日、デイスは7回目の哨戒でカベゾン (USS Cabezon, SS-334) とともに千島列島およびオホーツク海方面に向かった。6月8日に国後島近海の哨戒海域に到着し、早々に北緯44度20分 東経146度38分 / 北緯44.333度 東経146.633度 / 44.333; 146.633の地点でさっそく獲物にありつき、海上トラックとラガー(英語版)を浮上砲戦で撃沈した。6月9日にアポゴン (USS Apogon, SS-308) およびマンタ (USS Manta, SS-299) と合流。6月10日、デイスは霧の中を、護衛艦を配した輸送船とタンカーがやってくるのを探知した。以後追跡を続け、北緯47度21分 東経149度07分 / 北緯47.350度 東経149.117度 / 47.350; 149.117の占守島沖で3つの目標に、マーク27誘導魚雷(英語版)とマーク28型誘導魚雷、通常の魚雷をそれぞれ1本ずつ発射。魚雷は海軍徴傭船博洋丸(九州郵船、1,391トン)に命中して撃沈。反撃を受けたので、護衛艦に魚雷を発射した後、深深度潜航で逃れた。6月18日夜、アポゴンとカベゾンは幌筵島から出てきたばかりの輸送船団を発見し、アポゴンが輸送船博愛丸(日本海洋漁業、2,614トン)を、カベゾンが輸送船蔵王山丸(川崎汽船、2,631トン)をそれぞれ撃沈した。離れた場所で爆発を確認していたデイスは、6月19日未明に北緯50度23分 東経154度34分 / 北緯50.383度 東経154.567度 / 50.383; 154.567の地点で、船団を護衛していた護衛艦を発見し、マーク27誘導魚雷とマーク28型誘導魚雷を含む魚雷を4本発射。2本が命中したと判断され、さらに魚雷を4本発射する。攻撃後、36発に及ぶ爆雷攻撃を受けたがこれを切り抜けた。6月23日夜には北緯45度26分 東経148度56分 / 北緯45.433度 東経148.933度 / 45.433; 148.933の地点で、海岸に向けて4発の5インチ砲弾を撃ち込んだ。7月10日、デイスは46日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。 その後、デイスは8回目の哨戒の準備のため8月13日にサイパン島に到着したが、2日後に終戦を迎えた。
※この「第6、第7の哨戒 1944年12月 - 1945年7月」の解説は、「デイス (潜水艦)」の解説の一部です。
「第6、第7の哨戒 1944年12月 - 1945年7月」を含む「デイス (潜水艦)」の記事については、「デイス (潜水艦)」の概要を参照ください。
- 第6、第7の哨戒 1944年12月 - 1945年7月のページへのリンク