第6、第7の哨戒 1944年8月 - 12月とは? わかりやすく解説

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第6、第7の哨戒 1944年8月 - 12月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/26 20:51 UTC 版)

ジャック (潜水艦)」の記事における「第6、第7の哨戒 1944年8月 - 12月」の解説

8月6日ジャック6回目哨戒セレベス海方面向かった8月25日午後ジャック北緯0321東経12049分 / 北緯3.350度 東経120.817度 / 3.350; 120.817の地点150トン沿岸輸送船発見し浮上砲戦でこれを仕留めた8月29日未明ジャック北緯0215分 東経12349分 / 北緯2.250度 東経123.817度 / 2.250; 123.817のセレベス島マナド近海でH33船団発見し、月が没するのを待って攻撃を行うこととなった。まず魚雷を2本発射し、うち1本が陸軍輸送船めき志こ丸(大阪商船、5,785トン)に命中して、めき志こ丸は搭載していた弾薬燃料延焼したのち沈没していった。1時間後に再び魚雷を4本発射し、1本が第28号掃海艇後部命中して火災発生させる30分後にはさらに魚雷を1本発射した命中せず間を置かず魚雷を2本発射して、第28号掃海艇中央部に2本とも命中してようやく撃沈した9月24日ジャック48日間行動終えてフリーマントル帰投艦長アルバート・S・ファーマン少佐アナポリス1937年組)に代わった。 10月27日ジャック7回目哨戒南シナ海向かった11月14日夜、ジャックインドシナ半島パダラン岬近海レーダーによりミ25船団発見して追跡し潜水艦が行動するには条件がよいとは言えない海域ながら攻撃仕掛けた。翌11月15日未明北緯11度11東経10856分 / 北緯11.183度 東経108.933度 / 11.183; 108.933の地点いたったところでまず魚雷を4本発射し輸送船日永丸(日本郵船、5,397トン)の左舷魚雷命中させて撃沈。続く二度目攻撃再度魚雷を4本発射し、「何か」に2本が命中したようだと判定された。「何か」の正体日永丸の後方航行中輸送船第二勇山丸(山本汽船、6,930トン)で、魚雷命中した第二勇山丸は沈没を防ぐために座礁して果てたこの頃には日本の南航路黄昏に大きく傾いており、必死に日本へ向かう船にもっと出会ってもよさそうであったが、この哨戒ではこれ以上戦果挙げることはなく、ジャック真珠湾への帰還命じられた。12月27日ジャック58日間行動終えて真珠湾帰投ジャックサンフランシスコ回航され、ベスレヘム・スチールオーバーホール入ったジャックオーバーホールが終わると、1945年4月1日真珠湾戻ってきた。

※この「第6、第7の哨戒 1944年8月 - 12月」の解説は、「ジャック (潜水艦)」の解説の一部です。
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