第6、第7の哨戒 1944年8月 - 12月
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「ジャック (潜水艦)」の記事における「第6、第7の哨戒 1944年8月 - 12月」の解説
8月6日、ジャックは6回目の哨戒でセレベス海方面に向かった。8月25日午後、ジャックは北緯03度21分 東経120度49分 / 北緯3.350度 東経120.817度 / 3.350; 120.817の地点で150トン級沿岸輸送船を発見し、浮上砲戦でこれを仕留めた。8月29日未明、ジャックは北緯02度15分 東経123度49分 / 北緯2.250度 東経123.817度 / 2.250; 123.817のセレベス島マナド近海でH33船団を発見し、月が没するのを待って攻撃を行うこととなった。まず魚雷を2本発射し、うち1本が陸軍輸送船めき志こ丸(大阪商船、5,785トン)に命中して、めき志こ丸は搭載していた弾薬や燃料が延焼したのち沈没していった。1時間後に再び魚雷を4本発射し、1本が第28号掃海艇の後部に命中して火災を発生させる。30分後にはさらに魚雷を1本発射したが命中せず、間を置かず魚雷を2本発射して、第28号掃海艇の中央部に2本とも命中してようやく撃沈した。9月24日、ジャックは48日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がアルバート・S・ファーマン少佐(アナポリス1937年組)に代わった。 10月27日、ジャックは7回目の哨戒で南シナ海に向かった。11月14日夜、ジャックはインドシナ半島パダラン岬近海でレーダーによりミ25船団を発見して追跡し、潜水艦が行動するには条件がよいとは言えない海域ながら攻撃を仕掛けた。翌11月15日未明、北緯11度11分 東経108度56分 / 北緯11.183度 東経108.933度 / 11.183; 108.933の地点にいたったところでまず魚雷を4本発射し、輸送船日永丸(日本郵船、5,397トン)の左舷に魚雷を命中させて撃沈。続く二度目の攻撃で再度魚雷を4本発射し、「何か」に2本が命中したようだと判定された。「何か」の正体は日永丸の後方を航行中の輸送船第二勇山丸(山本汽船、6,930トン)で、魚雷が命中した第二勇山丸は沈没を防ぐために座礁して果てた。この頃には日本の南方航路は黄昏に大きく傾いており、必死に日本へ向かう船にもっと出会ってもよさそうであったが、この哨戒ではこれ以上の戦果を挙げることはなく、ジャックは真珠湾への帰還を命じられた。12月27日、ジャックは58日間の行動を終えて真珠湾に帰投。ジャックはサンフランシスコに回航され、ベスレヘム・スチールでオーバーホールに入った。ジャックはオーバーホールが終わると、1945年4月1日に真珠湾に戻ってきた。
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