第6、第7の哨戒 1945年3月 - 8月とは? わかりやすく解説

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第6、第7の哨戒 1945年3月 - 8月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/22 18:29 UTC 版)

コッド (潜水艦)」の記事における「第6、第7の哨戒 1945年3月 - 8月」の解説

3月24日コッド6回目哨戒東シナ海向かった。この哨戒では主に救助活動担当することとなった。3人のパイロット救助した後、4月17日には北緯3151東経12452分 / 北緯31.850度 東経124.867度 / 31.850; 124.867の地点浮上砲戦タグボート木造タンカー撃沈したコッド生存者救助しタグボートの名は "Choyo Maru" と言い下関の船でコールサインは "JUVJ" であることが分かった木造タンカー生存者の方は、船の名前を "Baishi Maru" あるいは "Banshi Maru" と言った4月24日深夜コッド北緯2542東経12115分 / 北緯25.700度 東経121.250度 / 25.700; 121.250の基隆港外で2隻の船を発見しそのうちの1隻に対して魚雷を4本発射するがこの攻撃失敗しコッド旋回して後部発射管から魚雷3本発射してうち1本が命中して目標沈没した攻撃後、コッド1人下士官救助し尋問した尋問結果彼の名前は恐らく「アリマ」と思われ今しがた撃沈した彼の乗っていた艦船は第41掃海艇だろうということ分かった4月25日朝には、北緯2654東経12110分 / 北緯26.900度 東経121.167度 / 26.900; 121.167の地点小型警備艇に対して魚雷を6本発射した命中しなかった。4月26日夜、コッド浮上中に後部魚雷発射管室で火災起こし、その復旧努めた魚雷誘爆を防ぐため、コッド後部発射管搭載され魚雷手動発射放棄されることとなったコッド乗組員火災冒して消火放棄務めたが、その作業中に魚雷積み込み用のハッチから L・Eフォーリーアンドリュー・G・ジョンソン海中転落したフォーリー翌朝救助されたが、ジョンソンそのまま行方不明となった5月29日コッド65日間行動終えてグアムアプラ港に帰投コッド艦長エドウィン・M・ウエストブルック・ジュニア少佐アナポリス1938年組)に代わった。 6月26日コッド7回目哨戒南シナ海タイランド湾方面向かった7月7日カムラン湾偵察した後、コッドスービック湾に向かう予定だった。その翌日コッド北緯0840東経11140分 / 北緯8.667度 東経111.667度 / 8.667; 111.667の南沙諸島日積礁 "Ladd Reef" に乗り上げたオランダ海軍潜水艦O-19(英語版) (HNLMS O-19)の救援のため現場急行した同日夜に現場到着したコッドはO-19の引き降ろし作業取りかかった。しかしO-19はびくともせず作業無駄に終わり、 O-19の引き降ろし断念して処分することとなった7月10日コッドはO-19の乗組員全員収容した後に5インチ砲弾16発と魚雷を2本撃ちこんでO-19を処分したコッドはO-19の乗組員乗せてスービック湾向かい7月13日に彼らを上陸させた後、翌日再出撃した。 7月19日コッドはハッチェン(英語版行き輸送船団攻撃の際に護衛駆逐艦神風の反撃損傷したホークビル (USS Hawkbill, SS-366) に代わって船団追跡北緯0612東経10311分 / 北緯6.200度 東経103.183度 / 6.200; 103.183の地点船団追いついて魚雷3本発射した攻撃失敗したコッド船団情報発信し、それに基づいてバンパー (USS Bumper, SS-333) が船団食いついた。7月21日から8月1日までの間、コッドマレー半島テンゴール岬沖で小物狩り勤しんだ。この期間に友好的な現地住民助けた上で臨検して破壊した総計23隻ものモーターサンパンやスクーナージャンク、はしけはシンガポール方面日本軍勢力対するこの時期唯一残され補給であったコッド攻撃により、小船集団とともに米、砂糖ガソリンなど各種油類、紙、コーヒーなどの物資海中消え失せた8月1日攻撃の際に哨戒機発見されたためコッド潜航しサンパン乗組員後日ブレニー (USS Blenny, SS-324) に救助された。 8月13日コッド47日間行動終えてフリーマントル帰投した。この時、 O-19 乗組員一同帰投したコッド出迎えコッド乗組員のためにパーティーを開くこととなった2人乗組員日本の降伏知っていた。この忘れがたい記念として、コッドバトルフラッグ艦橋には "O-19" の文字マティーニ描かれた。

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