第6、第7の哨戒 1945年3月 - 8月
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「コッド (潜水艦)」の記事における「第6、第7の哨戒 1945年3月 - 8月」の解説
3月24日、コッドは6回目の哨戒で東シナ海に向かった。この哨戒では主に救助活動を担当することとなった。3人のパイロットを救助した後、4月17日には北緯31度51分 東経124度52分 / 北緯31.850度 東経124.867度 / 31.850; 124.867の地点で浮上砲戦でタグボートと木造のタンカーを撃沈した。コッドは生存者を救助し、タグボートの名は "Choyo Maru" と言い、下関の船でコールサインは "JUVJ" であることが分かった。木造のタンカーの生存者の方は、船の名前を "Baishi Maru" あるいは "Banshi Maru" と言った。4月24日深夜、コッドは北緯25度42分 東経121度15分 / 北緯25.700度 東経121.250度 / 25.700; 121.250の基隆港外で2隻の船を発見し、そのうちの1隻に対して魚雷を4本発射するがこの攻撃は失敗し、コッドは旋回して後部発射管から魚雷を3本発射してうち1本が命中して目標は沈没した。攻撃後、コッドは1人の下士官を救助し尋問した。尋問の結果、彼の名前は恐らく「アリマ」と思われ、今しがた撃沈した、彼の乗っていた艦船は第41号掃海艇だろうということが分かった。4月25日朝には、北緯26度54分 東経121度10分 / 北緯26.900度 東経121.167度 / 26.900; 121.167の地点で小型警備艇に対して魚雷を6本発射したが命中しなかった。4月26日夜、コッドは浮上中に後部魚雷発射管室で火災を起こし、その復旧に努めた。魚雷の誘爆を防ぐため、コッドの後部発射管に搭載された魚雷は手動発射で放棄されることとなった。コッドの乗組員は火災を冒して消火と放棄に務めたが、その作業中に魚雷積み込み用のハッチから L・E・フォーリーとアンドリュー・G・ジョンソンが海中に転落した。フォーリーは翌朝救助されたが、ジョンソンはそのまま行方不明となった。5月29日、コッドは65日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投、コッドの艦長はエドウィン・M・ウエストブルック・ジュニア少佐(アナポリス1938年組)に代わった。 6月26日、コッドは7回目の哨戒で南シナ海、タイランド湾方面に向かった。7月7日にカムラン湾を偵察した後、コッドはスービック湾に向かう予定だった。その翌日、コッドは北緯08度40分 東経111度40分 / 北緯8.667度 東経111.667度 / 8.667; 111.667の南沙諸島日積礁 "Ladd Reef" に乗り上げたオランダ海軍の潜水艦O-19(英語版) (HNLMS O-19)の救援のため現場に急行した。同日夜に現場に到着したコッドはO-19の引き降ろし作業に取りかかった。しかしO-19はびくともせず作業は無駄に終わり、 O-19の引き降ろしを断念して処分することとなった。7月10日、コッドはO-19の乗組員全員を収容した後に5インチ砲弾16発と魚雷を2本撃ちこんでO-19を処分した。コッドはO-19の乗組員を乗せてスービック湾に向かい、7月13日に彼らを上陸させた後、翌日に再出撃した。 7月19日、コッドはハッチェン(英語版)行きの輸送船団攻撃の際に護衛の駆逐艦神風の反撃で損傷したホークビル (USS Hawkbill, SS-366) に代わって船団を追跡、北緯06度12分 東経103度11分 / 北緯6.200度 東経103.183度 / 6.200; 103.183の地点で船団に追いついて魚雷を3本発射したが攻撃に失敗した。コッドは船団情報を発信し、それに基づいてバンパー (USS Bumper, SS-333) が船団に食いついた。7月21日から8月1日までの間、コッドはマレー半島テンゴール岬沖で小物狩りに勤しんだ。この期間に友好的な現地住民を助けた上で臨検して破壊した総計23隻ものモーターサンパンやスクーナー、ジャンク、はしけはシンガポール方面の日本軍勢力に対するこの時期に唯一残された補給路であった。コッドの攻撃により、小船集団とともに米、砂糖、ガソリンなど各種油類、紙、コーヒーなどの物資は海中に消え失せた。8月1日の攻撃の際に哨戒機に発見されたためコッドは潜航し、サンパンの乗組員は後日、ブレニー (USS Blenny, SS-324) に救助された。 8月13日、コッドは47日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。この時、 O-19 乗組員一同が帰投したコッドを出迎え、コッドの乗組員のためにパーティーを開くこととなった。2人の乗組員は日本の降伏を知っていた。この忘れがたい記念として、コッドのバトルフラッグと艦橋には "O-19" の文字とマティーニが描かれた。
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