第6、第7の哨戒 1945年1月 - 9月とは? わかりやすく解説

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第6、第7の哨戒 1945年1月 - 9月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 17:23 UTC 版)

アーチャーフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第6、第7の哨戒 1945年1月 - 9月」の解説

1945年1月10日アーチャーフィッシュはブラックフィッシュ (USS Blackfish, SS-221)、バットフィッシュ (USS Batfish, SS-310) とウルフパック構成しルソン海峡方面向かった。この哨戒では、僚艦バットフィッシュ呂112呂113続けさま撃沈しアーチャーフィッシュ2月14日潜水艦1隻撃沈戦果報じたアーチャーフィッシュはこれを日本陸軍潜水艦であろう判断したが、戦後の調査で、この戦果認められなかった。アーチャーフィッシュはこの哨戒未確認目標により艦首部損傷受けたため、予定を少し切り上げてサイパン島寄港3月3日アーチャーフィッシュ49日間の行動終えて真珠湾帰投次いでオーバーホールのためにサンフランシスコハンターズ・ポイント海軍造船所回航され、3月13日到着したオーバーホール終えた後、6月22日真珠湾到着した7月10日アーチャーフィッシュ7回目哨戒日本近海向かった本州の東海岸から北海道南方哨戒し、日本本土爆撃を行うB-29第38任務部隊乗員救助任務当たった8月11日アーチャーフィッシュ何物かを探知したが、それっきり終わった8月15日アーチャーフィッシュ北海道沖で終戦迎え翌日には艦内酒宴挙げた8月31日東京湾入港し信濃誕生の地である横須賀海軍工廠近くで他の11隻の潜水艦と共にプロテウスの側に停泊した9月2日戦艦ミズーリ (USS Missouri, BB-63) 艦上降伏文書調印式が行われた後、アーチャーフィッシュ東京湾出港9月12日アーチャーフィッシュ59日間行動終えて真珠湾帰投した。その後第1潜水艦部隊配属され訓練任務従事した

※この「第6、第7の哨戒 1945年1月 - 9月」の解説は、「アーチャーフィッシュ (潜水艦)」の解説の一部です。
「第6、第7の哨戒 1945年1月 - 9月」を含む「アーチャーフィッシュ (潜水艦)」の記事については、「アーチャーフィッシュ (潜水艦)」の概要を参照ください。

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