第6、第7の哨戒 1945年1月 - 9月
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「アーチャーフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第6、第7の哨戒 1945年1月 - 9月」の解説
1945年1月10日、アーチャーフィッシュはブラックフィッシュ (USS Blackfish, SS-221)、バットフィッシュ (USS Batfish, SS-310) とウルフパックを構成しルソン海峡方面に向かった。この哨戒では、僚艦バットフィッシュが呂112と呂113を続けさまに撃沈し、アーチャーフィッシュも2月14日に潜水艦1隻撃沈の戦果を報じた。アーチャーフィッシュはこれを日本陸軍の潜水艦であろうと判断したが、戦後の調査で、この戦果は認められなかった。アーチャーフィッシュはこの哨戒で未確認目標により艦首部に損傷を受けたため、予定を少し切り上げてサイパン島に寄港。3月3日、アーチャーフィッシュは49日間の行動を終えて真珠湾に帰投。次いでオーバーホールのためにサンフランシスコのハンターズ・ポイント海軍造船所に回航され、3月13日に到着した。オーバーホールを終えた後、6月22日に真珠湾に到着した。 7月10日、アーチャーフィッシュは7回目の哨戒で日本近海に向かった。本州の東海岸から北海道南方を哨戒し、日本本土爆撃を行うB-29や第38任務部隊の乗員の救助任務に当たった。8月11日、アーチャーフィッシュは何物かを探知したが、それっきりに終わった。8月15日、アーチャーフィッシュは北海道沖で終戦を迎え、翌日には艦内で酒宴を挙げた。8月31日に東京湾に入港し、信濃誕生の地である横須賀海軍工廠近くで他の11隻の潜水艦と共にプロテウスの側に停泊した。9月2日に戦艦ミズーリ (USS Missouri, BB-63) 艦上で降伏文書調印式が行われた後、アーチャーフィッシュは東京湾を出港。9月12日、アーチャーフィッシュは59日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。その後第1潜水艦部隊に配属され訓練任務に従事した。
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