第6章 言語の考古学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 01:13 UTC 版)
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アンソニーは印欧諸語の分岐の順序とおおよその年代を以下のように提示する。 アナトリア語派(前4200年) トカラ語派(前3700年) ゲルマン語派(前3300年) イタリック語派およびケルト語派(前3000年) アルメニア語派(前2800年) バルト・スラブ語派(前2800年) ギリシャ語(前2800年) インド・イラン語派(前2200年)、前1800年にイラン語派とインド語派に分岐 重要なのは、印欧諸語が話される領域は初め、軍事的な征服というよりもむしろ「募集」によって拡大したということである。最初に「募集」が行われたのは(ヤムナヤ文化が有力候補だが)、馬を集中的に使用することで、ウクライナとロシアの南部のステップにおいて、川を離れて家畜を放牧できる生活様式だった。
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