アナトリア語派
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アナトリア語派(アナトリアごは、Anatolian languages)とは古代小アジア(アナトリア:現在のトルコ)で話されていたインド・ヨーロッパ語族の言語群で、すべて死語である。中でもヒッタイト語の資料が多く最もよく研究されている。その周辺で使われた言語もいくつか知られるが、これらについては資料が少ない。
- ^ Hammarström, Harald; Forkel, Robert; Haspelmath, Martin et al., eds (2016). “Anatolian”. Glottolog 2.7. Jena: Max Planck Institute for the Science of Human History
- ^ Melchert (1994) pp.7-8
- ^ Melchert (1995) p.2158
- ^ 高津(1954) p.166
- ^ Luraghi (2015) p.191
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- ^ Russell D. Gray and Quentin D. Atkinson, Nature 2003, 426(6965):435-9.[1]
- ^ J.P. Mallory, In Search of the Indo-Europeans, Thames and Hudson Ltd., London (1989).
- ^ G. Steiner, The immigration of the first Indo-Europeans into Anatolia reconsidered, Journal of Indo-European Studies 18 (1990), 185–214.
- 1 アナトリア語派とは
- 2 アナトリア語派の概要
- 3 消滅
アナトリア語派
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「インド・ヨーロッパ語族」の記事における「アナトリア語派」の解説
「アナトリア語派」も参照 アナトリア語派は印欧祖語か、その原型にあたる言語から派生した最初の言語グループだと考えられている。ヒッタイト帝国の公用語であったヒッタイト語が最もよく知られていている。この語派に属する言語はすべて死語となっていて歴史的な資料にのみ残されている。 アナトリア祖語からヒッタイト語、ルウィ語、パラー語に分化し、その3つが大きな幹をなすと考えられている。多くはアッカド語から継承した楔形文字で記録されているが、象形文字ルウィ語とギリシア文字を基にしたアルファベットを用いるリュキア語が知られている。大城・吉田は、ルウィ語を楔形文字ルウィ語と象形文字ルウィ語に分類し、リュキア語、ミリア語(英語版)、リュディア語を加え7つを確定的なアナトリア語派として数えている。これによれば、リュキア語とミリア語はルウィ語に近く、派生した関係にあると考えられる。ヒッタイト語とパラー語の話し手は、コーカサス諸語と類縁関係にあるハッティ語話者の住んでいたアナトリア中部に侵入し、前1650~1600年ごろにヒッタイト帝国がハッティ族の独立王国を征服した。ヒッタイト語とパラー語にはにはハッティ語、ヒッタイト語にはさらにフルリ語、アッカド語に由来する借用がみられる一方、ルウィ語にはハッティ語からの借用は見られず「正体不明の非印欧の言語」からの借用がみられ、ハッティ語の中心地域から離れた地域で話されたことが示唆されている。 時制が現在と過去しかない、有性と中性の区別しかない、喉頭音の存在など他の古い印欧語と共通しない特徴を持つことで古い時代の印欧語の研究に繋がった。ヒッタイト語は再建されてきた印欧祖語と大きく異なっていて、印欧祖語のさらに前段階から分化したため狭義の印欧語にあたらないとするインド・ヒッタイト語仮説も提示されている。松本は、ヒッタイト語を特別扱いして既存の理解を保とうとするよりも、その示す事実を受け入れて比較文法の方法論じたいを再編しなおす動きのほうが優勢であるとしている。
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