スラブ‐ごは【スラブ語派】
スラヴ語派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/06 19:09 UTC 版)
スラヴ語派 | |
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話される地域 | ヨーロッパ、ソ連内の中央アジア |
言語系統 | インド・ヨーロッパ語族
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下位言語 | |
ISO 639-2 / 5 | sla |
ISO 639-5 | sla |

スラヴ語派(スラヴごは)とは、インド・ヨーロッパ語族バルト・スラヴ語派の一派で、スラヴ系諸民族が話す言語の総称。
かつては同民族の祖先スラヴ人に話される「スラヴ祖語」が存在したと想定されるが、スラヴ人の民族大移動の頃(5 - 6世紀)から分化が進み、次第に各語群が独自の特徴を明確にし始め、12世紀には単一言語としての統一は完全に失われた。
分類

スラヴ諸語は分布地域に一致するおおよそ3つのグループに区分することができる。
東スラヴ語群
西スラヴ語群
- チェコ・スロバキア語
- レヒト諸語
- ソルブ諸語
- クナアン語 (死語)
南スラヴ語群
- 東グループ
- 西グループ
歴史
共通の祖語
スラヴ語派に属するすべての言語は、スラヴ祖語に起源を持つ。口蓋化という音韻変化を特徴とするが、後述する白樺文書問題によって、従来の仮説ではスラヴ語をまとめることが難しくなった。
現在の歴史言語学上の通説では、スラヴ語派はバルト語派との共通の祖先である「バルト=スラヴ祖語」から生まれたとされている。この説によれば、紀元前3000年頃、バルト=スラヴ祖語の「原郷」(Urheimat)は現在のベラルーシ、ウクライナ、ポーランド、リトアニア、ロシア西部のあたりに位置していた。スラヴ語派とバルト語派は、この仮説上の言語から受け継いだ少なくとも289個の単語を共有している。スラヴ語派がバルト語派から分かれたのは紀元前1000年あたりであるとする研究者もいる。
過去に主張されたものとして、スラヴ語派は近接するバルト語派(リトアニア語、ラトビア語、古プロイセン語)とは根本的に異なり、アルバニア語から派生したとする説もある。これは、バルト語派からの強い影響は認めつつも、単に影響を受けただけにとどまり直接の祖先はアルバニア語であるとするものである。この説はソヴィエト連邦崩壊前後に盛んに唱えられた[1]。しかし最近の研究によってこの説はほぼ否定されている[2]。
最近の仮説では、スラヴ語派がゲルマン語派との共通祖語から分かれたとするものもある。11世紀ノヴゴロドの白樺文書に書かれたスラヴ語に第2次口蓋化が起こっておらず、ケントゥム語の特長を良く残しており、形態的にもよりゲルマン語に近いことが明らかになったため。スラヴ語の口蓋化は3次にわかれて発生したと考えられているが、第1次口蓋化が5世紀後半より開始された後、ゲルマン語との共通祖語の名残がまだあった第2次口蓋化以前の時代に、ノヴゴロド方言を含む古ルーシ語が分化していたことになる[3]。
スラヴ語派内での分化
スラヴ祖語は5世紀ころまで存在し、7世紀までにはいくつかの大きな方言群に分かれていったとされる。スラヴ語派の統一性は、スラヴ民族が居住地を拡大していくにつれてさらに失われていった。
9世紀から11世紀にかけてのスラヴ系言語で書かれた文献には、その後の分化につながる地域的特徴がすでに現れている。例えばフライジンク写本(ラテン文字を用いて書かれた初のスラヴ語による文章)においては、当時のスロヴェニア方言の語彙・発音面での特徴(ロータシズムなど)を見ることができる。
西スラヴ語群および南スラヴ語群の分立に関する有力な仮説はまだない。東スラヴ語群は、12世紀ごろまで存在していた古ルーシ語として祖語から別れていったと考えられている。南スラヴ語群は二手に分かれてバルカン半島に進出し、あいだに非スラヴ系民族(ワラキア人)がいた、とするのが有力である。
スラヴ語派の発展
南および西スラヴ語群の分立
スラヴ民族のバルカン半島への進出によってスラヴ語派は分布域を大きく拡げたが、ギリシャ語、アルバニア語などのもともと存在した言語も引き続き存続した。9世紀にパンノニアへマジャール人が進出したことで、南と西のスラヴ民族のあいだにくさびが打ち込まれた格好となった。さらにフランク人の進入によって、モラヴィアのスラヴ人はスティリア、カリンシア、東チロルおよびスロヴェニアのスラヴ人と隔離され、南・西の地理的分離は決定的なものとなった。
他民族支配下におけるスラヴ語派
東ローマ帝国崩壊後のスラヴ諸民族の国々は、ロシア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、そしてヨーロッパに進出してきたオスマン帝国などによってそれぞれ支配されたが、スラヴ民族個々の多様性が最も認められたのはオーストリアだった。当時オーストリアには南スラヴ諸国に加え、(現在で言えば)ウクライナ西部、ポーランド南部なども含まれていたため、帝国内では様々なスラヴ語が話されていたことになる。
特徴
スラヴ語派の共通した特徴は、口蓋化する発音や、名詞(6前後の格・単複数および一部双数・3性・活動体と不活動体の対立)やそれに一致する形容詞の豊富な屈折、動詞の完了体と不完了体のアスペクトの対立システムの発達などがあげられる[4]。それぞれの言語は非常によく似ており、ひとつのスラヴ語を修得していれば他のスラヴ語を修得するのは比較的容易とされる。文字はキリル文字とラテン文字の2種類が存在し、西部のカトリック圏がラテン文字、東部の正教圏がキリル文字と、宗教分布におおよそ一致する。
近隣言語への影響
スラヴ語派と隣接する言語の中でも、ルーマニア語とハンガリー語は特に語彙の面で多くの影響を受けている。西ヨーロッパの言語における、スラブ言語の大きな影響はゲルマン語派でも見られる。現代ドイツ語とそのオーストリアの方言は、スラブ語の影響下で形成された。語彙の中にわずかに残っているスラヴ系起源のものを挙げると、「境界」をあらわすドイツ語「Grenze」、オランダ語「grens」(スラヴ祖語の「*granĭca」から)、「市場」をあらわすスウェーデン語「torg」(スラヴ祖語の「*torgŭ」から)、などがある。ゲルマン語派の中でスラヴ語派からの影響を最も多く受けているものはイディッシュ語である。ソ連に属していた中央アジアの諸言語やモンゴル語なども、語彙の面での影響が見られる。
ゲルマン諸語
スラブ人によって設立されたドイツとオーストリアの都市の名前はスラブの言葉に起源を持つ(シュヴェリーン、ロストック、リューベック、ベルリン、ドレスデンなど)。スカンジナビアの言語では、ナビゲーションと貿易に関連するスラブの言葉からかなりの数の語彙を借用しており、おそらくスカンジナビアとスラブの接触の結果として継承されている。たとえば、「lodhia」(ボート、貨物船)、「pråm」(はしけ、東スラブ語:pramŭ)[5]、「torg」(市場、商圏)[6]、「besman / bisman」(市場規模)、「pitschaft」(印刷)、「tolk」(翻訳者)[7] などから。
フィンノ=ウグリ語群
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その他
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脚注
- ^ Mayer, Harvey E. "The Origin of Pre-Baltic." Lituanica. 37.4 (1991) 57-64.
- ^ Kapović (2008, p. 94 "Kako rekosmo, nije sigurno je li uopće bilo prabaltijskoga jezika. Čini se da su dvije posvjedočene, preživjele grane baltijskoga, istočna i zapadna, različite jedna od druge izvorno kao i svaka posebno od praslavenskoga".)
- ^ [1]
- ^ “スラブ語派(スラブゴハ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2025年4月12日閲覧。
- ^ Hellquist, Elof (1922). "pråm". Svensk etymologisk ordbok (スウェーデン語). Project Runebergより。
- ^ Hellquist, Elof (1922). "torg". Svensk etymologisk ordbok (スウェーデン語). Project Runebergより。
- ^ Hellquist, Elof (1922). "tolk". Svensk etymologisk ordbok (スウェーデン語). Project Runebergより。
関連項目
- インタースラーヴィク - スラヴ語派を基に作られた人工言語。
- キリスト教以前のスラヴ語文字
スラヴ語派
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「インド・ヨーロッパ語族」の記事における「スラヴ語派」の解説
「スラヴ語派」も参照 東スラヴ語群 - ロシア語、ベラルーシ語、ウクライナ語、ルシン語、古東スラヴ語†、古ノヴゴロド語† 南スラヴ語群 - 古代教会スラヴ語†、スロヴェニア語、セルボ・クロアチア語(セルビア語、クロアチア語、ボスニア語、モンテネグロ語)、ブルガリア語、マケドニア語など 西スラヴ語群 - ポーランド語、チェコ語、スロヴァキア語、ポラーブ語†、カシューブ語、上ソルブ語、下ソルブ語など スラヴ語は、西スラヴ語群、南スラヴ語群、東スラヴ語群の3つに分類されている。9世紀半ばまでにはスラヴ人の居住地域は西、東、南の3つに分かれていた。印欧祖語から分離し、古代教会スラヴ語が成立するまでのスラヴ語を共通スラヴ語と呼ぶ。共通スラヴ語時代のスラヴの知識人は文語としてギリシア語やラテン語、古フランク語を使っていたと考えられている。9世紀後半に西スラヴのモラヴィア王国では、東フランク王国の影響力から脱するためビザンツ帝国に要請してメトディオスとキュリロスの兄弟が教主として派遣された。キュリロスがスラヴ語典礼に使う文字体系としてグラゴル文字を考案し、スラヴ語の文語である古代教会スラヴ語が成立した。モラヴィア国内での兄弟の事業は難航したが、弟子たちが第一次ブルガリア帝国で活動することでスラヴ語典礼の伝統は保たれ、グラゴル文字の体型にギリシア文字を導入することでキリル文字が成立した。古代教会スラヴ語はポーランドとクロアチアを除くスラヴ語圏全体に拡散した後、それぞれの隣接した地域の言語から影響を受けるなどして多様性を増し、研究者たちは1100年ごろを古代教会スラヴ語が共通性を失った時期の目安としている。 10世紀末から11世紀には東西南の差異がルーシ人、スラヴ人、ブルガリア人の言葉の違いとして認識されていた。東西南の内部でも支配体制による分断があり、12世紀ごろからそれぞれの地域内でも別個の言語として独立して認識されるようになった。 共通して男性、女性、中性の区別と、7つか6つの格がある。男性単数に生物と無生物の区別があり、西語群では人を表す男性名詞複数形「男性人間形」が17世紀頃に成立した。スロヴェニア語とソルブ語が双数を残し、他の言語では複数に合流したが、2を表す数詞に名残がある。動詞には直説法、命令法、仮定法があり、直接法の中に現在、過去、未来の3つの時制と完了体と不完了体の2つのアスペクトの組み合わせがある。先に述べたように西方教会とラテン語典礼が、東方教会とスラヴ典礼が結びついた歴史がある。この結果として西語群ではラテンアルファベットが、東語群ではキリル文字が、南語群ではキリル文字とラテンアルファベットが用いられている。ラテンアルファベットを用いる南語群では、ガイ式ラテン・アルファベットやその変種が用いられる。
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