マイコープ文化
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マイコープ文化(マイコープぶんか、Maykop culture)は、紀元前3700-2500年頃の青銅器時代にロシア南部に栄えた考古文化である。範囲はケルチ海峡に臨むタマン半島から、現在のダゲスタン共和国国境近くに及び、クバン川流域、ほぼ現在のアディゲ共和国を中心としていた。アディゲ共和国の首都マイコープで発見された王墓から命名された。このマイコープ墳墓は1897年に初めて発見され、金・銀製の遺物を甚だ豊富に副葬していた。
- ^ In Search of the Indo-Europeans - J.P.Mallory, Thames and Hudson, 1987, ISBN 0-500-27616-1, p233
- ^ Encyclopedia of Indo-European Culture,"Maykop Culture"
- ^ "Bronze Age Civilization Spotted in Old Photographs". Associated Free Press (Discovery.com). October 12, 2010.
- 1 マイコープ文化とは
- 2 マイコープ文化の概要
- 3 関連項目
マイコープ文化
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マイコープ文化の名で知られるように、一帯に考古学的遺跡が集中している。1897年、ペテルブルク大学教授N.ヴェセロフスキーはマイコープ東部で「オシャド」と呼ばれるクルガンを発見した。そこでは、スキタイあるいはサルマタイのものと思われる金製や銀製の製品が多く発見され、ここに高い文化が存在していたことを示唆するものである。マイコープのクルガンで発見された遺物は、エルミタージュ博物館に納められている。
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