ヒッタイト語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/17 10:24 UTC 版)
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| ヒッタイト語 |
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|---|---|
| 𒉈𒅆𒇷 nešili |
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| 話される国 | ヒッタイト帝国 |
| 地域 | アナトリア[1] |
| 話者数 | — |
| 言語系統 |
インド・ヨーロッパ語族
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| 表記体系 | ヒッタイト語楔形文字 |
| 言語コード | |
| ISO 639-2 | hit |
| ISO 639-3 | 各種:oht — 古ヒッタイト語hit — ヒッタイト語htx — 中期ヒッタイト語nei — 新ヒッタイト語 |
| Linguist List | oht 古ヒッタイト語 |
hit ヒッタイト語 |
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htx 中期ヒッタイト語 |
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nei 新ヒッタイト語 |
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| Glottolog | hitt1242[2] |
アナトリア半島中央部のハットゥシャ(現在のトルコ北部ボアズキョイ)を中心とするヒッタイト帝国で用いられた。インド・ヨーロッパ語族の言語のうちもっとも古い文献の残る言語である。ヒッタイト人は、ハットゥシャを中心とする帝国を築き、北部レバントおよび上メソポタミアの一部も支配していた。この言語は既に長らく絶滅しているが、楔形文字での記録によって確認されており、紀元前17世紀(アニッタ文書)から紀元前13世紀までの文献に残されている。また、紀元前20世紀ごろの古アッシリア語の文献において、ヒッタイト語の孤立的な借用語や多数の人名が出現しており、これによりインド・ヨーロッパ語族の最も早期の記録された使用例と考えられている。
粘土板に楔形文字によって記された紀元前16世紀から紀元前13世紀頃までの文書が遺っており、第一次世界大戦中に解読された。
ヒッタイト語は他の印欧語と異なる点が多く、早い時期に印欧語から分離したと推測されてきた。印欧語族の「姉妹言語」と考える研究者もいる。
名称
中央アナトリアには非インド・ヨーロッパ語族の言語であるハッティ語を話す先住民のハッティ人が住んでいたが、おそらく紀元前3千年紀ごろヒッタイト人の祖先がやってきて、先住民の名を自称した[3]。ハットゥシャやハットゥシリ1世、ヒッタイト、ヒッタイト語などの名もここに由来する。ヒッタイト語は、現代の学術的名称であり、ハッティ(Ḫatti)王国を聖書に登場するヒッタイト人(聖書ヘブライ語:*חתים Ḥittim)と同定したことに基づく。しかし、この名称は誤って適用された可能性がある[4]。「ハッティ人」という用語は、ヒッタイト人に先行した先住民を指し、非インド・ヨーロッパ語族であるハッティ語を話していた。
ヒッタイト語の文書では、自身の言葉をnesili (またはnasili 、「ネサの言葉で」の意)と書いている。また、Kanisumnili 「カネシュの言葉で」と記された場合もある。カネシュ(ネサ)は今のキュルテペのことである[5]。キュルテペからはヒッタイト王国の起源の上で重要なアニッタ王宮の名前を記した青銅の槍先が発見されている[6]。
ヒッタイト新王国は多様な民族的・言語的背景を持つ人々を含んでいたが、ヒッタイト語はほとんどの世俗的文書に用いられていた。用語の適切性に関して様々な議論があるにもかかわらず[7]、ヒッタイト語は慣例と聖書のヒッタイト人との強い関連性のため、現代において最も一般的に用いられる名称となっている。自称である nešili およびその英語化形(Nesite, Nessite, Neshite)は、いまだ広く定着していない[8]。
分類
ヒッタイト語はアナトリア諸語の一つであり、ヒッタイト王によって建立された楔形文字の粘土板や碑文から知られている。かつて「ヒエログリフ・ヒッタイト」と呼ばれていた文字体系は、現在では象形文字ルウィ語と呼ばれている。アナトリア語派には、楔形文字ルウィ語、象形文字ルウィ語、パラー語、リュキア語、ミリア語、リュディア語、カリア語、ピシディア語、シデ語、イサウリア語も含まれる[9]。
他の多くのインド・ヨーロッパ語とは異なり、ヒッタイト語は男性・女性の文法上の性を区別せず、接続法や希望法、ならびにアスペクトも欠く。これらの差異を説明するために、さまざまな仮説が提案されている[10]。
特にエドガー・H・スターテヴァントやウォーレン・カウギルは、ヒッタイト語をインド・ヨーロッパ祖語の娘言語としてではなく、姉妹言語として分類すべきだと主張している。彼らのインド=ヒッタイト仮説によれば、親言語(インド=ヒッタイト語)はヒッタイト語に欠けている特徴をも持たず、後にインド・ヨーロッパ祖語がそれらを新たに発展させたとされる。
一方で、他の言語学者はSchwund(“消失”)仮説を支持し、ヒッタイト語(またはアナトリア諸語)はインド・ヨーロッパ祖語から派生し、当初は完全な特徴を有していたが、ヒッタイト語ではその特徴が簡略化されたと考えている。
クレイグ・メルチャートによれば、現時点(2012年時点)の傾向は、インド・ヨーロッパ祖語が進化し、アナトリア語の「先史的話者」が「他のPIE話者共同体から隔離され、一部の共通革新を共有しなかった」と考えることである[11]。 ヒッタイト語および他のアナトリア諸語は、インド・ヨーロッパ祖語から早期に分岐した。そのため、ヒッタイト語は他のインド・ヨーロッパ語では失われた古語的特徴を保持している[12]。
ヒッタイト語には多数の借用語があり、特に宗教語彙は非インド・ヨーロッパ語族のフルリ語およびハッティ語から借用されている。ハッティ語は、ヒッタイト人がこの地に移住または征服する以前のハッティ地方の先住民であるハッティ人の言語であった。ハットゥシャの神聖文書や魔術文書は、ヒッタイト語が他の文書において標準となった後も、ハッティ語、フルリ語、ルウィ語で書かれることがしばしばあった。
歴史
ヒッタイト語は伝統的に、古ヒッタイト語(Old Hittite, OH)、中期ヒッタイト語(Middle Hittite, MH)、新ヒッタイト語またはネオ・ヒッタイト語(New Hittite / Neo-Hittite, NH)に区分される(ただし、「新ヒッタイト」という名称の多義的使用、すなわち後期時代の呼称としての使用とは混同しないこと。後期時代は実際にはヒッタイト帝国の滅亡後である)。これらはヒッタイト史における古王国・中王国・新王国(それぞれ紀元前1750–1500年、紀元前1500–1430年、紀元前1430–1180年)に対応している。各段階は言語学的および古写本学的根拠に基づいて区別される[13][14][15]。
ヒッタイト学者のアルウィン・クロークホルスト(2019)は、ヒッタイト語の方言的変種として二つを認めている。一つは「カニシュテ・ヒッタイト語(Kanišite Hittite)」、もう一つは「ハットゥシャ・ヒッタイト語(Ḫattuša Hittite)」あるいは「ヒッタイト語本来の語」と呼ばれる[16]。前者はカニシュ/ネシャ(Kültepe)出土の粘土板に認められ、ハットゥシャ出土資料よりも古い時期に属するとされる[17]。
文字
ヒッタイト語は紀元前16世紀から紀元前13世紀の、楔形文字(ヒッタイト語楔形文字)で記された粘土板文書によって記録されている。ハットゥシャから出土した文書が大半を占めるが、ほかにマシャト・ヒョユクやウガリットからも多数の粘土板が発見されている[18]。それ以前からヒッタイト語がアナトリア半島で話されていたことは、キュルテペで発見された紀元前19世紀のアッカド語文書の中にヒッタイト語からの借用語が見えることからわかる[5]。
ヒッタイト楔形文字はアッカド語の楔形文字を借りたものだが、その読みにはさまざまな問題があり、ヒッタイト語の音韻体系を知ることを困難にしている。楔形文字の正書法は表語文字と音節文字の組み合わせだが、つねに表語文字でしか書かれない単語は、意味はわかるものの、どう発音するのかわからない。音節文字はV,CV,VC,CVCがあるが、セム語になくてヒッタイト語にある3つ以上の子音結合をうまく表すことができず、余計な母音を加えることによって表現している[19]。
アッカド語にある無声と有声の区別は、なぜかヒッタイト語の正書法では無視されているため、無声なのか有声なのかわからないことが多い[20]。母音間の子音は VC-CV と書かれたときに無声音、V-CV と書かれたときに有声音という、いわゆるスターティヴァントの法則があるようだが[21]、この書きわけができる場所は限られている。実際には無声と有声の対立ではなく、はり(長い閉鎖)・ゆるみ(短い閉鎖)の対立かもしれない[22]。
音声
ヒッタイト語の音韻体系の性質を明らかにする上で、音節文字の制約は比較語源学およびヒッタイト語の綴字規則の検討によって、多少なりとも克服されてきた。それに基づき、学者たちはヒッタイト語が以下の音素を有していたと推定している。
母音
| 前舌母音 | 中舌母音 | 後舌母音 | |
|---|---|---|---|
| 狭母音 | i | u | |
| 中央母音 | e | (o) | |
| 広母音 | a |
ヒッタイト語には4つの母音(a e i u)が存在する。母音には長短の区別が存在する[23]。ただし楔形文字の制約により、e と i の区別がつかない場合が非常に多い[24]。
- 長母音は、アクセントによって条件づけられた場合に、対応する短母音の変種として現れる。
- 音素的に区別される長母音は、まれにしか出現しない。
子音
子音には以下のものがある[23]。喉音(下節を参照)ḫ ǵ[25] がどのような音かは正確にはわからない。
| 両唇音 | 歯茎音 | 硬口蓋音 | 軟口蓋音 | 口蓋垂音 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 平音 | 両唇化音 | 平音 | 両唇化音 | ||||||
| 鼻音 | lenis | m | n | ||||||
| fortis | mː | nː | |||||||
| 破裂音 | lenis | p | t | k | kʷ | ||||
| fortis | pː | tː | kː | kʷː | |||||
| 摩擦音 | lenis | s | (ʃ) | χ | χʷ | ||||
| fortis | sː | (ʃː) | χː | χʷː | |||||
| 破擦音 | t͡s | ||||||||
| 流音 | lenis | r | l | ||||||
| fortis | rː | lː | |||||||
| わたり音 | j | w | |||||||
強勢のある音節では開音節の短母音が長音化し(閉音節でも起きることがある)、強勢のない音節では長母音が短くなる[26]。
破裂音
ヒッタイト語には二種類の子音系列が存在した。一方は原文の文字体系において常に長子音(重子音)として表記され、もう一方は常に単子音として表記された。楔形文字では、流音を除くすべての子音は長子音化可能であった。長子音系列の破裂音は、プロト・インド・ヨーロッパ語の無声閉鎖音に由来し、単子音系列の破裂音は有声および有声気音閉鎖音の両方に由来することが長く指摘されており、これをしばしばスターテヴァントの法則と呼ぶ。スターテヴァントの法則が示す類型的含意から、二つの系列の区別は一般に声の有無(有声音/無声音)の差異として考えられている。しかし、楔形文字の正字法を文字通りに解釈すると長さの差異であるかのように見えるとして、この問題について学者間で一致は見られない。
長さの差異説の支持者は、ヒッタイト人が楔形文字を借用したアッカド語には声の有無が存在したが、ヒッタイトの書記は有声・無声の符号を互換的に使用していたという事実を指摘する。アルウィン・クロークホルストも、同化的有声音の欠如が長さの差異の証拠であると論じている。彼は、単語 "e-ku-ud-du – [ɛ́kʷːtu]" に声の同化が現れていないことを指摘する。しかし、もしこの区別が声の有無の差であるなら、閉鎖音間で一致が見られるはずである。なぜなら、この単語の「u」は母音ではなく唇音化を示すため、軟口蓋音と歯茎音の破裂音が隣接していることが既知であるからである。
喉音
ヒッタイト語にはインド・ヨーロッパ語の喉音のうち、h₂とh₃が部分的に残っている。これらの音は1879年、他の印欧語の母音音価にもとづいてフェルディナン・ド・ソシュールが予想したものだが、他の知られている印欧語には単独の音素として残っていない。ヒッタイト語はこの点では非常に古風である[27]。ヒッタイト語では、この音素は ḫ と表記される。この点において、ヒッタイト語は他のいかなる記録されたインド・ヨーロッパ語とも異なり、ヒッタイト語における喉頭音の発見は、ソシュールの仮説を驚くべき形で裏付けたものとなった。
喉頭音の保持と、ヒッタイト語が他の初期インド・ヨーロッパ語に共通する特定の文法的特徴を共有していないという証拠の欠如により、一部の文献学者は、アナトリア諸語がプロト・インド・ヨーロッパ語の他の分派よりもはるかに早い段階で分岐したと考えている。詳細は上記の「#分類」を参照のこと。
ケントゥムとサテム
ヒッタイト語はインド・ヨーロッパ祖語の硬口蓋音 *k̑ *g̑ *g̑ʰと軟口蓋音 *k *g *gʰがともに k g に変化しており、これはケントゥム語の特徴である。ところが、おなじアナトリア語派のルウィ語では硬口蓋音が z /ts/ に、さらにリュキア語では s に変化しており、サテム語的な特徴を示す[27]。
形態論
→詳細は「ヒッタイト語の文法」を参照
ヒッタイト語はほかの古いインド・ヨーロッパ語族の言語と同様に屈折語である。ヒッタイト語は、最も古く記録されたインド・ヨーロッパ語である[28]が、ヴェーダ語サンスクリット、古典ラテン語、古代ギリシア語、古代ペルシア語、アヴェスター語など、他の早期に記録されたインド・ヨーロッパ語に見られるいくつかの文法的特徴を欠いている。特筆すべきは、ヒッタイト語には男性・女性の性(ジェンダー)体系が存在しなかったことである。代わりに、より古い有生・無生の対立に基づく原始的な名詞クラス体系を有していた。
名詞
ヒッタイト語の名詞は、次の九つの格で屈折する:主格、呼格、対格、属格、与格・処格、奪格、能格、向格、および具格。また、二つの数(単数・複数)および二つの有生性クラス(有生(共通)、無生(中性))にも屈折する[29]。形容詞および代名詞は、有生性・数・格において名詞と一致する。
有生の区別は原始的であり、一般に主格において現れる。同一の名詞が両方の生物性クラスに現れることもある。複数形では単数形よりも格の区別が少なくなる傾向がある。奪格は、非生物名詞が他動詞の主語である場合に使用される。初期ヒッタイト語文献では、一部の名詞に対して呼格が -u で存在したが、最古の出土資料の時点では生産的でなくなり、多くの文書では主格に統合されている。向格は言語の後期段階で与格・所在格に統合された。古い文献では、古代的な属格複数形 -an や、具格複数形 -it が不規則に見られる。また、いくつかの名詞は、まったく格語尾を持たない特殊な所在格を形成する。
形容詞・分詞・代名詞は名詞と性・数・格を一致させる。比較級・最上級は存在しないが、ヴェーダ語やホメロスにも同様の原級を使った比較級・最上級の代用表現がまれに見られる[30]。
ここでは、生物名詞の例として pišna-(「人間」)、非生物名詞の例として pēda-(「場所」)を用い、ヒッタイト語名詞の最も基本的な屈折形を示す。
| 有生 | 無生 | ||||
|---|---|---|---|---|---|
| 単数 | 複数 | 単数 | 複数 | ||
| 主格 | pišnaš | pišnēš | pēdan | pēda | |
| 対格 | pišnan | pišnuš | |||
| 能格 | pišnanza | pišnantēš | pēdanza | pēdantēš | |
| 呼格 | pišne | – | – | ||
| 属格 | pišnaš | pēdaš | |||
| 与格/処格 | pišni | pišnaš | pēdi | pēdaš | |
| 奪格 | pišnaz | pēdaz | |||
| 向格 | pišna | – | pēda | – | |
| 具格 | pišnit | pēdit | |||
代名詞の変化はきわめて不規則である。人称代名詞には強形と弱形(接語形)があり、三人称には弱形のみが存在する。また、名詞に後続して所有者を表す接語形の人称代名詞も存在する[31]。
数詞は表音文字で書かれることが少ないためによくわからない。音がわかっているのは1から4までに限られる[32]。
動詞
動詞形態論は、古代ギリシア語やヴェーダ語のような他の早期に記録されたインド・ヨーロッパ語に比べて単純である。ヒッタイト語の動詞は、二つの主要な活用(mi活用およびhi活用)、二つの態(能動態および中動態)、二つの法(直説法および命令法)、二つの相(完了相および未完了相)、二つの時制(現在時制および過去時制)に従って屈折する。動詞には二つの不定形、動名詞、スーピヌム、および分詞がある。ローズ(2006)は132のhi動詞を挙げ、hi/miの対立を文法的態の体系の痕跡(「求心的態(centripetal)」対「遠心的態(centrifugal)」)として解釈している。
| mi-活用能動 | ḫi-活用 能動 |
共通中動態 | |
|---|---|---|---|
| 直説法現在 | |||
| 一人称単数 | -mi | -ḫḫi | -ḫḫa/-ḫḫari/-ḫḫaḫari |
| 二人称単数 | -ši (also: -ti) | -ti | tta/-ttari (or -tati) |
| 三人称単数 | -zzi | -i | a/-ari/-tta/-ttari |
| 一人称複数 | -wēni/-wāni/-uni | -wašta (or -waštari) | |
| 二人称複数 | -ttēni/-ttāni (or -šteni) | -dduma/-ddumari (or -ddumat) | |
| 三人称複数 | -anzi | -anta/-antari | |
| 直説法過去 | |||
| 一人称単数 | -un/-nun | -ḫḫun | -ḫḫat/-ḫḫati/-ḫḫaḫat/-ḫḫaḫati |
| 二人称単数 | -š/-ta | -ta (also: -š) | -ttat/-ttati (or -tta/-at) |
| 三人称単数 | -ta | -š/-iš/-eš/-ta (or -šta) | -at/-ati/-ta/-ttat/-ttati |
| 一人称複数 | -wen | -waštat/-waštati | |
| 二人称複数 | -tten (or -šten) | -ddumat/-ddudumati | |
| 三人称複数 | -ir | -antat/-antati | |
| 命令法現在 | |||
| 一人称単数 | -allu | -allu/-lu | -ḫḫaru/-ḫḫaḫaru |
| 二人称単数 | null, -t (or -i) | nul, -i | -ḫuti/-ḫut |
| 三人称単数 | -tu | -u (or -štu) | -aru/-ttaru |
| 一人称複数 | -wēni/-wāni | *-waštati | |
| 二人称複数 | -tten (or -šten) | -ddumat/-ddumati | |
| 三人称複数 | -andu | -antaru | |
接続法や希求法は存在せず、希望などは接続助辞 mān/man を使って表現する[33]。古代ギリシア語に見られるアオリストや完了も存在しない。唯一の分詞として過去分詞がある。「持つ」や「ある」を意味する動詞と分詞を組み合わせた迂言法があり、形の上では英語などの完了形に似ているが、完了とは意味が異なり、動作によって得られた状態を意味する[33]。
統語論
もっとも普通の語順はSOV型であるが、動詞を強調するために前に出すことができる。
文の最初に来る要素(文を結ぶ接続詞などを含む)の後ろに、1つから6つまでの接語を加えることができる。したがって接語は文の2番目に置かれる(ヴァッカーナーゲルの法則)。接語には「そして、しかし」などの接続的な意味、「という」などの引用、代名詞の接語形、アスペクトを表すものなど、さまざまなものがある。接語の多用はヒッタイト語を含むアナトリア語派の特徴である[34]。
ヒッタイト語は分裂能格言語であり、無生物(中性)名詞が他動詞の主語になる場合には能格形を取る[35]。
発見と解読
19世紀末にフリンダーズ・ピートリーがエジプトのアマルナを発掘し、多数の粘土板を発見したが、その中に、アッカド語と同じ文字を使ってはいるが未知の言語で書かれたものがあり、アルザワ書簡と呼ばれた。ノルウェーのヨルゲン・クヌートソンが研究し、アルザワ書簡の言語がインド・ヨーロッパ語族の特徴を持つことを1902年に発表したが、当時は受け入れられなかった[36]。解読の理由の大部分は形態論に基づいていた。彼は二言語併記の文書を持たなかったものの、当時の外交文書が定型的であったため、二通の書簡の部分的な解釈を行うことができた。
クヌッツォンの主張が決定的に正しいことは、フーゴー・ウィンクラーによって、現在のトルコのボアズキョイ村にあたる、かつてのヒッタイト国家の首都ハットゥシャの遺跡で、アッカド語楔形文字で書かれているが未知の言語の多数の粘土板が発見されたことで証明された[37]。この膨大な資料の研究に基づき、ベドジフ・フロズニーはヒッタイト語の分析に成功した。彼は1915年に発表した論文(Hrozný 1915)で、この言語がインド・ヨーロッパ語族であるとの論証を行い、その後言語の文法書(Hrozný 1917)を刊行した[38]。
フロズニーのヒッタイト語のインド・ヨーロッパ語族への属を示す論証は、完全に現代的手法に基づくものであったが、証拠は十分ではなかった。彼は偶然独立して生じる可能性が低く、借用されることも稀である、形態論上の特異な特徴の顕著な類似性に着目した[39]。これには、一部の名詞語幹における r/n の交替(異格名詞)や母音交替(アブラウト)が含まれ、たとえば「水」を表す単語では、主格単数 wadar と属格単数 wedenas において交替が見られる。また、彼は規則的な音の対応関係のセットも提示した。
第一次世界大戦による一時的な中断の後、フロズニーによる解読、暫定的文法分析およびヒッタイト語のインド・ヨーロッパ語族への属の立証は急速に受け入れられ、エドガー・H・スターティヴァントのような同時代の学者によってさらに広く裏付けられた。スターテヴァントは、初めて科学的に受容可能なヒッタイト語文法書と、練習用文例集および用語集を著した。ヒッタイト語の最も現代的な文法書は、現在ではホフナーとメルチャート(2008)が刊行しているものである。
語彙
ヒッタイト語はインド・ヨーロッパ語族本来の語彙をかなり失っていて、語彙の約8割が借用語であるという[40]。親族名称は atta-(父)、anna-(母)、huhha-(祖父)、hanna-(祖母)、hašša-(孫)のように、ほとんどが幼児語(Lallwort)的な特徴を持つ語に置き換えられている[41]。
ヒッタイト語の中にはハッティ語、フルリ語、アッカド語からの借用が頻繁にみられるが、かつて言われたようなハッティ語が基層をなすという説は誇張に過ぎ、現在は認められていない[5]。インド・ヨーロッパ語族本来の語彙が少ないように見えるのは、現存する文書が祭儀に関するものだからで、基礎語彙に限れば少なくとも75%の語彙はインド・ヨーロッパ語に起源を持つ[5]。
ヒッタイト王国の首都ハットゥシャ、現在のボアズカレあるいはボアズキョイ付近の王立文書庫からは、3万点以上の粘土板またはその断片が発掘されている。ハットゥシャから大半の粘土板が出土しているが、その他の出土地には、トルコのマシャト・ヒュユク、オルタキョイ、クシャクルまたはカヤルピナル、シリアのアララク、ウガリット、エマル、エジプトのアマルナが含まれる。
これらの粘土板は主に、トルコのアンカラ、イスタンブル、ボアズカレ、チョルム(オルタキョイ)の博物館に所蔵されているほか、ベルリンのペルガモン博物館、ロンドンの大英博物館、パリのルーヴル美術館など、国際的な博物館にも保存されている[42]。
Anittaの布告
この文献は三つの版本で発見されており、そのうち最も古い版本は、現存するヒッタイト語文献の中で最古のものと考えられている。成立年代は紀元前17世紀末から紀元前16世紀中頃にかけてとされる。
| 転写 | 翻訳 |
|---|---|
| MA-ni-it-ta DUMU MPi-it-ha-a-na LUGAL URUKu-us-sa-ra QÍ-BÍ-MA ne-pi-is-za-as-ta DIŠKUR-un-ni a-as-su-us e-es-ta na-as-ta DIŠKUR-un-ni-ma ma-a-an a-as-su-us e-es-ta URUNe-e-sa-as LUGAL-us URUKu-us-sa-ra-as LUGAL-i ... LUGAL URUKu-us-sa-ra URU-az kat-ta pa-an-ga-ri-it ú-e-et nu URUNe-e-sa-an is-pa-an-di na-ak-ki-it da-a-as URUNe-e-sa-as LUGAL-un IṢ-BAT Ù DUMUMEŠ URUNe-e-sa-as i-da-a-lu na-at-ta ku-e-da-ni-ik-ki tak-ki-is-ta an-nu-us at-tu-us i-e-et nu MPi-it-ha-a-na-as at-ta-as-ma-as a-ap-pa-an sa-ni-ya ú-et-ti hu-ul-la-an-za-an hu-ul-la-nu-un DUTU-az ut-ne-e ku-it ku-it-pat a-ra-is nu-us hu-u-ma-an-du-us-pat hu-ul-la-nu-un ka-ru-ú MU-uh-na-as LUGAL URUZa-a-al-pu-wa DSi-ú-sum-mi-in URUNe-e-sa-az URUZa-a-al-pu-wa pe-e-da-as ap-pe-ez-zi-ya-na MA-ni-it-ta-as LUGAL.GAL DSi-ú-sum-mi-in URUZa-a-al-pu-wa-az a-ap-pa URUNe-e-sa pe-e-tah-hu-un MHu-uz-zi-ya-na LUGAL URUZa-a-al-pu-wa hu-su-wa-an-ta-an URUNe-e-sa ú-wa-te-nu-un URUHa-at-tu-sa tak-ki-is-ta sa-an ta-a-la-ah-hu-un ma-a-na-as ap-pe-ez-zi-ya-na ki-is-ta-an-zi-at-ta-at sa-an DHal-ma-su-i-iz Dsi-i-us-mi-is pa-ra-a pa-is sa-an is-pa-an-di na-ak-ki-it da-a-ah-hu-un pe-e-di-is-si-ma ZÀ.AH-LI-an a-ne-e-nu-un ku-is am-me-el a-ap-pa-an LUGAL-us ki-i-sa-ri nu URUHa-at-tu-sa-an a-ap-pa a-sa-a-si na-an ne-pi-sa-as DIŠKUR-as ha-az-zi-e-et-tu |
|
歴史(仮説)
アナトリア語派の分化
一部の比較言語学者は、アナトリア語派が他の印欧語各語派祖語よりも早い時期に原印欧語から分かれたと考えている。スターティヴァントらは、「インド・ヒッタイト祖語」を想定して、そこからインド・ヨーロッパ祖語とアナトリア祖語の2つが形成されたと考えたが、この説は一般には認められていない[43]。
2003年にニュージーランド・オークランド大学のラッセル・グレー博士らが、分子進化学の方法(DNA配列の類似度から生物種が枝分かれしてきた道筋を明らかにする系統分析)を応用して印欧語族の87言語を対象に2449の基本語を調べ、言語間の近縁関係を数値化しコンピュータ処理して言語の系統樹を作った。その結果紀元前6700年ごろヒッタイト語と分かれた言語がインド・ヨーロッパ祖語の起源であり、ここから紀元前5000年までにギリシャ語派やアルメニア語派が分かれ、紀元前3000年までにゲルマン語派やイタリック語派が出来たことが明らかになったと主張したことがあった。インド・ヨーロッパ語族の起源として考古学的には、紀元前4000年頃の南ロシアのクルガン文化と、紀元前7000年頃のアナトリア農耕文化の2つの説が有力視されていたが、博士は、以上の結果は時代的にはアナトリア仮説を支持するものであると考えたのである[44]。
ただし従来ヒッタイト人の支配層の先祖は古代のいずれかの時期に黒海東岸ないし北岸方面から南下しアナトリアで非印欧語族の原住民(ハッティ人等々)を同化吸収してヒッタイト社会を形成したというのが通説である。このうち政治的に決定的なものは紀元前2000年ごろアナトリアに移動してきた集団とされたが、北方からアナトリアへの文化の移動の波はこの集団のみによるものとは確定していない。さらにヒッタイトが古い時代から一貫してアナトリアにいたという証拠はない。すなわち、仮に紀元前6700年ごろアナトリア語派の集団(ないしインド・ヒッタイト祖語のうち、後にアナトリア祖語を形成した集団)が他のインド・ヨーロッパ祖語の集団(ないしインド・ヒッタイト祖語のうち、後にインド・ヨーロッパ祖語を形成した集団)と分かれたとしても、後にヒッタイト支配層に発展することになる集団群のほうがコーカサス北麓からアナトリアへ向かって次々と移動していったという可能性は、インド・ヒッタイト祖語仮説やグレー博士の研究によっても否定することはできないことを見逃してはならない。
後にヒッタイト支配層となる集団のほうがコーカサス北麓の「原郷」から南下していったシナリオでは、紀元前6700年という古い時代にコーカサス北麓ないし黒海北岸の原郷からアナトリアへ向かっての一定距離の移動をしたのち、他のインド・ヨーロッパ祖語の集団(ないしインド・ヒッタイト祖語の原郷集団)がコーカサス北麓のどこかで後の時代にクルガンを作る風習(サマラ文化とドニエプル・ドネツ文化。ただしサマラ文化やドニエプル・ドネツ文化、そしてクヴァリンスク文化およびスレドニ・ストグ文化自体が印欧語族の文化であるとは限らないが、この流れを受けたと考えられているクルガン文化であるヤムナ文化は印欧語族の文化であると推定されている。)を始め、これを発展させてインド・ヨーロッパ祖語の社会文化の基盤を形成し、その後この社会文化が周囲に伝播することで複数のクルガン文化群が形成されていった可能性と全く矛盾しない。これは紀元前3700-2500年ごろ黒海東岸から南岸にかけて広く存在したマイコープ文化(のちにアナトリア語派の諸国の支配層となっていった集団の文化と考えられる)の初期および同時代の黒海北岸のヤムナ文化(印欧語族の原郷の文化と考えられる)に共通するクルガンの風習によって裏付けられる。
分化後の文法の単純化
ヒッタイト語が分化した後にハッティ人などといった非インド・ヨーロッパ言語の原住民を同化吸収する過程で、意思疎通の必要性の増大により「文法の単純化」が起こったと考えられている。例えば、他の言語と異なり、指小形をはじめとした幼児的表現を日常的に多用するポーランド語やチェコ語など一部のスラヴ語派の言語同様、親族名称に幼児語的なものが多いことから、ヒッタイト侵入の草創期における社会の急激な変動が示唆されている。これは古い言語ほど文法が複雑であるという、すでに広く定着している仮説に則っている。単純化の現象はトカラ語でも見られる。これによればサンスクリット、リトアニア語、ポーランド語、チェコ語などは文法上、他の言語よりも印欧語の古層を保存していると考えられる。
反対に、古い言語ほど文法が単純であるという仮説を採る人々は、ヒッタイト語やトカラ語の文法の単純さこそが印欧語の古層を保存していて、その後その他の言語に変化が生じたとする説を採る。
関連校重く
脚注
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- ^ Hammarström, Harald; Forkel, Robert; Haspelmath, Martin et al., eds (2016). “Hittite”. Glottolog 2.7. Jena: Max Planck Institute for the Science of Human History
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- ^ Melchert 2012, pp. 2–5.
- ^ Melchert 2012, p. 7.
- ^ Jasanoff 2003, p. 20 with footnote 41
- ^ Melchert (1994) p.9
- ^ Hout 2011, p. 2-3.
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- ^ Kloekhorst, Alwin. Kanišite Hittite: The Earliest Attested Record of Indo-European. Leiden, The Netherlands, Boston: Brill, 2019. p. 246. DOI: https://doi.org/10.1163/9789004382107
- ^ Kloekhorst, Alwin. "Anatolian". In: The Indo-European Language Family: A Phylogenetic Perspective. Edited by Thomas Olander. Cambridge: Cambridge University Press, 2022. pp. 63–64, 75. doi:10.1017/9781108758666.005
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- ^ 翻字は Melchert (1995) p.2153 による
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- ^ "Hittite Grammar" (PDF). Assyrianlanguages.org. Retrieved 2017-01-17.
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- ^ Fortson (2004:154)
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- ^ 風間(1984) p.402
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- ^ Hoffner & Melchert 2008, 2-3
- ^ 高津(1954)p.7 注1, p.51 注1
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参考文献
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- Hoffner, Harry A. & Melchert, H. Craig (2008). A Grammar of the Hittite Language, Part II. Tutorial. Winona: Eisenbrauns. ISBN 1-57506-148-1
- Hout, Theo van den (2011). The Elements of Hittite. Cambridge: Cambridge University Press. ISBN 0521115647
- Gray, R.D.; Atkinson, Q.D. (2003). Language-tree divergence times support the Anatolian theory of Indo-European origin. 426
- Melchert, H. Craig (1994). Anatolian Historical Phonology. Amsterdam: Rodopi. ISBN 905183697X
- Melchert, H. Craig (1995). “Indo-European Languages of Anatolia”. In Jack M. Sasson. Civilizations of the Ancient Near East. 4. Charles Scribner's Sons. pp. 2151-2159. ISBN 0684197235
- Watkins, Calvert (2004). “Hittite”. In Roger D. Woodard. The Cambridge Encyclopedia of the World’s Ancient Languages. Cambridge University Press. pp. 551-575. ISBN 9780521562560
- 風間喜代三『印欧語の親族名称の研究』岩波書店、1984年。
- 高津春繁『印欧語比較文法』岩波書店、1954年。
- 高津春繁 著「ヒッタイト文書の解読」、高津春繁、関根正雄 編『古代文字の解読』岩波書店、1964年、151-190頁。
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