独立王国とは? わかりやすく解説

独立王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/04 11:44 UTC 版)

スキリア族」の記事における「独立王国」の解説

アッティラ死後、その重臣であったゲピド族のアルダリックのもとにスキリア族ヘルール族、ルギイ族などが集まりフン族反旗を翻した。彼らは454年のネダオ河畔戦いでアッティラ長男エラク勝利し戦死させた。その後エデコという男がスキリア族率いてドナウ川中流部ティサ川の間に挟まれたアルフュルト中部に独自の王国築き息子オドアケルやオノウルフスと共に統治した。もともとアッティラ信任厚い重臣一人エデコという人物がおり、一般にスキリア族王国建国者と同一視されている。フン帝国時代エデコは、アッティラ使節として東ローマ帝国首都コンスタンティノープル赴いており、その返礼使者画策しアッティラ暗殺計画未然に防ぐ功を立てていた。エデコ自身はおそらくスキリア族一員ではなかったが、スキリア族貴族の娘と結婚していた可能性がある。彼自身テューリンゲンもしくはフン族、あるいはその両方を祖とする血統持ち主だったと考えられている。同じ東ローマ帝国著述家でも、マルチュスはエデコテューリンゲン族とし(スーダ辞典に残る引用記述)、プリスクスはフン族であるとしている。後世では、ゴッファルトがフン族説を採用しているのに対しヘザーはより厳密にテューリンゲン族説を支持している。テューリンゲン族はゲルマン人一派であったスキリア族は、近隣ゴート族ゲピド族スエビ族などと旧フン帝国地域主導権争ったハンガリーのバコドプスタにある3つの墳墓は、スキリア族のものであるとされている。サールヴィーズ近く沼地からは壮麗な宝物発見されており、エデコのものであるとされている。 ヨルダネスによればスキリア族東ゴート族同盟していたが、スエビ族のフニムンドにそそのかされ同盟破棄した460年代スキリア族東ゴート族それぞれに東ローマ帝国との同盟求めた皇帝レオ1世は、将軍アスパル助言反してスキリア族との同盟選んだ。468/469年、スキリア族東ゴート族奇襲をかけた。彼らは東ゴート族の王の一人ウァラメール戦死させたものの、戦争には敗れたウァラメールのあとを継いだティウディミールは、逆にスキリア族攻勢をかけた。スキリア族側にはスエビ族ヘルール族サルマタイ人味方についたが、ボリア川の戦いでティウディミール率い東ゴート族スキリア族ヘルール族スエビ族サルマタイ人ゲピド族、ルギイ族などからなるローマ部族包囲網打ち破ったヨルダネスは、この東ゴート族との戦いでスキリア族大打撃こうむった伝えている。

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独立王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/23 23:35 UTC 版)

ラカイン州」の記事における「独立王国」の解説

アラカン口承寺院碑文を基にするならば、ラカイン州歴史は相当古い時代にまで遡ることが出来る。ラカイン族英語版)は自身民族史紀元前3325年まで遡って1785年最後支配者に至るまでの227人のアラカン王国君主明らかにしている。彼らはその領土、すなわちアヴァ英語版), イラワジ・デルタ英語版), en:Thanlyin (シリアム)の港町ベンガル東部ラカイン族近縁のマルマ族(英語版)が居住するチッタゴン丘陵地帯)、も描いている。しかし、歴代アラカン王国領土が、既知特定歴史的ドキュメントによる正確な確証与えられているわけではないラカイン族伝説によれば最初に記録され王朝北部の町ダニヤワディー(英語版周辺中心として紀元前34世紀から紀元前327年まで続いたとされている。ラカイン族書物碑文伝えところによれば、有名なマハムニ仏(英語版)が作られたのは紀元前554年のことで、その時ブッダ王国訪れたとされている。 紀元4世紀にダニヤワディーが衰亡すると、権力中心はワイタリの町を拠点とする二番目新王朝移った。この時期こそ、それ以前より多く考古学的遺物残っているワイタリ期と、ラカインの文化建築仏教古典時期とが一致するのである。ワイタリ王朝権力衰退とともに三番目新王朝はレイムロ(英語版川沿い4つの町に出現し、レイムロ王朝期を迎え4つ主要都市順番首都役割果たした1429年、ミン・ソー・モン(英語版)が最後の王朝を樹立し1430年ミャウウー拠点にした。ラカイン族は、大航海時代ラカイン族黄金時代看做しており、ミャウウー商業港として重要な位置占めるようになると、アラビアヨーロッパとの広範囲海運組み込まれた。1666年ムガル帝国チッタゴン奪われると、17世紀通じて衰退続けた内乱暴動や王の追放が非常に一般的であった。彼らがアジアで覇を唱えた時代の間、ヨーロッパから来航したポルトガル人アラカン一時的施設得た

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