パルティアとササンのサトラップ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/16 06:58 UTC 版)
「サトラップ」の記事における「パルティアとササンのサトラップ」の解説
パルティアは、大きな所領を持つ大貴族の上に王が君臨し、貴族たちの寄り合いの要素が強い王朝だった。七大貴族と呼ばれる七氏族が存在し、貴族は兵役と貢納の義務を王に負っていた。都市は自治を認められ王に一定の貢納をしていた。サーサーン朝はパルティアよりかなり中央集権的だった。パルティア時代に半独立王国と自治都市は王家の都市=直轄都市として置き換えられた。王から派遣された直轄都市の官吏は軍事的要衝に駐屯する守備隊と同じく Shahrab と呼ばれた。Shahrab は所在する都市だけでなくその周辺の地域も支配した。サトラップの言葉が転訛したシャフルは、エーラーン・シャフルという言葉としてサーサーン朝の正式な国家名称にも継承された。
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