パルティアとの同盟と王権奪取
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/18 05:56 UTC 版)
「アンティゴノス (ハスモン朝)」の記事における「パルティアとの同盟と王権奪取」の解説
紀元前40年、アンティゴノスはパルティアと同盟し、王位奪取を狙った。パルティアの太守バルザフラネス、王子パコロスはアンティゴノスの求めに応じてシリアへ進出した。アンティパトロスの息子ヘロデとファサエロスはアンティゴノス軍を迎撃したが、パコロスに騙されたファサエロスとヒルカノス2世はバルザフラネスのもとへ出かけ、捕らえられてしまった。ヘロデは親族を連れてエルサレムを脱出し、マサダ、次いでエジプト経由でローマへ亡命した。パルティア軍はエルサレムを占領して略奪し、アンティゴノスを王位に就けた。アンティゴノスはヒルカノスの両耳を斬り落とし、大祭司へ復位できないようにした。ファサエロスは自害した(毒殺ともいわれる)。
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