王位奪取
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 14:43 UTC 版)
紀元前118年にミキプサが死去すると、ユグルタはミキプサの2人の息子(アドヘルバルおよびヒエンプサル)と共同で後継者の地位に就いたが、3人の間で後継者をめぐる争いが起こった。アドヘルバルとヒエンプサルは共同でユグルタと争ったが、ユグルタは戦いに勝利を収め、ヒエンプサルは殺害され、アドヘルバルはローマへ亡命した。 ローマ元老院はヌミディア王国の内紛を調停して、王国を東西へ分割して、ユグルタとアドヘルバルがそれぞれを統治するように決着を付けたが、ユグルタはローマ国内に賄賂を送り、中でも紀元前121年に執政官を務めたルキウス・オピミウス(en)などはユグルタのために尽力したことで、より豊かであったヌミディアの西半分がユグルタへ与えられるようになったとされる。なお、後にローマでは東半分も十分に豊かであったと主張したが、実際には未開発の状態であった。
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