王位就任の時期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/13 02:00 UTC 版)
「ペンダ (マーシア王)」の記事における「王位就任の時期」の解説
『アングロサクソン年代記』の628年の項目に王キュネイルスとクウィチェルムがペンダと戦った記録が見られ、そこではこの戦いで彼らはペンダと「合意に達した」と書かれている。キュネイルスたちを先祖とするウェセックスの資料であるこの記述は控えめに書かれているが、恐らくはペンダが西サクソン勢力に対し勝利を収め、サイレンスターを中心とするセヴァーン川下流域の土地が彼のものとなったのだろうと解釈されている。 この時期に彼がマーシア王であったのかは、年代記と比較する上で非常に重要な研究テーマとなっている。考えられる解釈として以下のことが考えられうる。 この時点では彼は王位には就いておらず、独立勢力の指導者として西サクソン相手に自らの手で領地を切り取っていた。 この時代のマーシアは単一の王を擁く王国ではなく、部族国家として複数の部族によって分割統治されており、彼はその中の一人に過ぎなかった。 またペンダが得たこの土地は、かつてブリトン人の土地で西サクソンのチェウリンが577年に進攻領有したものであった。そして彼が奪った後には小国ウィッチェの支配地となっている事が確認されており、ウィッチェという国は彼によって作られた可能性もある。もちろん根拠として十分な証拠が欠いてはいるが、この小国は大国マーシアの隣国として後世にも存続している。
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