王位相続の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 06:41 UTC 版)
父は初代の王の寿夢。子に𠭯巣がいる。弟に掩余と燭庸がいる。 余昧はもともと初代の王である寿夢の三男で王位に就く資格はなかった。寿夢には4人の嫡子があり、その中で四男の季札の器量がずば抜けていたことから王位を季札に譲りたいと考えていた。だが寿夢は王位相続に適切な対策をとらずに死んだ。だが兄である諸樊・余祭・余昧らは父の気持ちを知っていたため、季札に王位を継ぐように求めた。しかし兄を差し置いて王位を継ぐことは不敬であるとして固辞したため、仕方なく長兄の諸樊が継ぎ、その死後王位は子の公子光(後の闔閭)ではなく、弟が順に跡を継いでいくようにした。こうすれば順番で季札が跡を継ぐことになるからである。だが、諸樊が死んで余祭、余祭が死んで余昧までは継いだが、余昧が死ぬと季札はまたも王位を固辞した。このため、僚が跡を継いだ。 このことに対して、僚の呉王即位に対して収まらぬ者がいた。長兄の諸樊の子である公子光である。寿夢の意思があって王位継承の順序は変わったが、余昧が死んで季札が王位を固辞した段階で、王位継承権は長兄の子である自分に戻るべきであると考えていた。僚に従ういわれは全くないと思っていたと記述されている。
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