『アーサー王の死』とは? わかりやすく解説

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『アーサー王の死』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 14:02 UTC 版)

コンスタンティン3世」の記事における「『アーサー王の死』」の解説

トマス・マロリーの『アーサー王の死』では、コンスタンティン暴君としての要素は完全に消去され模範的な円卓の騎士一人になっている。彼はコーンウォールカドー卿の息子で、カドー次いでアーサーと最も血が近いが、具体的な血縁関係不明である。アーサー実子モードレッド認知していないため、姉の息子ガウェイン比較血縁上では近いが、ガウェインよりもカドーコンスタンティンの方が近いという。 アーサー王ローマ皇帝ルキウス・ティベリウスとの戦い出征する際、年老いた高潔な騎士ボードウィンカドー息子コンスタンティン、および王妃グィネヴィア三人留守を預かる統治者任命したアーサーはさらに、カドー除けばコンスタンティン最も近い血縁者であることを理由に、自分が仮に遠征中に戦死した場合正式な後継者コンスタンティンとする、と言ったコンスタンティン円卓の騎士として出番はほぼ無いが、ハンガリー騎士アリーが「最も優れた騎士傷口調べてくれるまで」決し治らないという傷の呪い受けた際に、アリーの傷を治そうとした円卓の騎士110人のリストには含まれている。 アーサー王カムランの戦い致命傷負ってアヴァロン去り出家したランスロット衰弱死した頃、コンスタンティンイングランドの王に選出された。彼は気高い騎士であり、王国立派に統治したコンスタンティンは、元カンタベリー司教隠者として暮らす庵を探し当て、再び司教として迎えた。しかし、司教と共に隠者として暮らしていたベディヴィア十人残存円卓の騎士勧誘には失敗し、彼らは隠者または聖職者として過ごすか、あるいは異教徒と戦うかして生涯終えた

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『アーサー王の死』(Le Morte d'Arthur)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 02:15 UTC 版)

モーガン・ル・フェイ」の記事における「『アーサー王の死』(Le Morte d'Arthur)」の解説

15世紀後半以降文献黒魔術を使う邪悪な魔女変更されティンタジェル公ゴルロイスとその妻イグレインとの間に生まれた三女末娘とされた。 母イグレインアーサーの父ユーサー・ペンドラゴン再婚した後、キリスト教修道院にて修行魔術通じ修道院での堕落した教育不思議な妖術を突然身に付け異父アーサー前に立ちはだかる。後に魔法使いマーリンは、彼女が魔力を磨くのを手伝い始める。 モルガンアーサー純粋な心を嫌悪しアーサーグィネヴィア陥害王位奪取企むことを知りアーサー王最強の敵となる。円卓の騎士一人ランスロットの妻となるペレス王の娘エレイン姫の美しさ妬み、彼女を幽閉しランスロット誘惑したまた、聖剣エクスカリバー魔法の鞘(傷を癒す力と持つ者を不死にする力を誇る)をアーサーから盗み恋人であるアコーロンに与えたことからアーサーがアコーロンを敵にまわして戦う窮地陥った。後にモルガン魔法の鞘を湖の中に投げ込んだが、これによってエクスカリバーアーサーを守る不死の力を失い、やがてアーサーモルゴースモルガンの姉)との間の不義の子であるモルドレッドとの戦いで命を落とす事になる。作品によってはモルガンモルゴース同一人物として描かれる事もある。

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『アーサー王の死』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 00:32 UTC 版)

モルドレッド」の記事における「『アーサー王の死』」の解説

1470年ごろに完成したトマス・マロリーの『アーサー王の死』では、アーサー異父モルゴース近親相姦でできた不義の子とされる。ある時、夫のロット王使者としてガウェイン四人息子とやってきたモルゴースアーサー懸想し、姉とは知らず一夜過ごしてしまう。その後アーサー悪夢グリフィン現れて、王国焼き払いアーサーもこれらの怪物戦って退治する致命傷負ってしまう。マーリンモードレッドのことを暗示し、「5月1日生まれた子供が、アーサーとその王国を滅ぼすだろう」と予言するその結果アーサー王は、従わなければ死刑触れ出して5月1日領主貴婦人の間に生まれた子供集め、船に乗せて海に流した中には生まれて週間赤子や、それ以下赤子さえいた(四週間前に5月1日生まれた子と、それより幼くて5月1日生まれた子がいるのは論理的矛盾だが、マロリー意図したところは不明)。多く領主直臣反感持ったが、アーサーよりもマーリン責任があると思ったため、王への恐れ好意から沈黙守った。しかし、モードレッド奇跡的に岸に打ち上げられ生還、とある善良な男に見つけられ育てられ14歳になった時点アーサー王宮廷入っている。その後ロット王は、妻がアーサー密通していたことを知って反抗勢力作っており、ネロ王と合流してアーサー王討とうとするが、マーリン奸計合流失敗し最終的に円卓の騎士ペリノア王によって殺害されている。 後にアーサー王配下となったモードレッドは、ランスロットと共に行動したり、ペリノア王オークニーロット一族との争いで、親族にあたるオークニー側につき、ペリノア息子で母モルゴース不義密通重ねているラモラック殺したりした。 アーサーランスロット敵対するきっかけつくったのは、モードレッドアグラヴェイン企みからであった。彼らは王妃グィネヴィアランスロット道ならぬ恋をアーサー王にばらそうと、その密会現場とりおさえた。瞬く間ランスロット一人によってアグラヴェインを含む十二人の騎士殺されモードレッド重傷追って逃げ出した。この事件によって、アーサー王は最も信頼し親友でもあったランスロットを敵に回した戦い始めなければならなかったのであるその後アーサーランスロットと戦うためにフランス出兵し、モードレッドイングランドの統治者に任命して国を委ねたモードレッドアーサー留守にしているあいだに邪心抱いて謀反起こしアーサー外征討死したという手紙偽造し王位についた。そして、グィネヴィア自分の妃に迎えようとしたが、グィネヴィア表向き恭順装い、隙を見てロンドン塔籠城した。これらの裏切りにカンタベリー司教諫言したが、聞き入れられなかったため、モードレッド破門した後にグラストンベリー周辺逃げて隠者となったアーサー裏切り知り帰国を急ぐ段階になっても、当時アーサー王統治では戦い争い以外の生活は無いという噂が広まっていたので、モードレッドには多くイングランド豪族諸侯味方した5月10日ドーヴァー上陸試みアーサー王との戦いでは、兄のガウェイン討ち取ったが(直接手を下したのがモードレッドかは不明)、次第アーサー軍勢押されついには敗走したモードレッドはさらにバラムの丘に陣を構えるが、再びアーサー敗北しカンタベリー逃走したその後聖霊降臨祭次の月曜日ソールズベリ近く決戦を行うことが取り決められアーサーモードレッド復讐ができると喜んだ。しかし、戦の前日アーサー夢の中に神から遣わされガウェイン現れ、もし戦えアーサーが死ぬこと、一ヶ月休戦締結すればランスロットが王の救援に来ることを告げる。アーサーモードレッド休戦交渉は一旦まとまりかけるが、不運なめぐり合わせから決裂してしまう。モードレッド十万の兵を率いてアーサーと戦うが、血みどろ戦い味方生き残ったのはモードレッドただ一人アーサー側も、アーサールーカンベディヴィア三人だけであった疲れ果て、剣を休息しているところ、ルーカン制止聞かず復讐逸り突撃してきたアーサー一騎討ち演じ胴体突き抜かれる。死を覚悟したモードレッド渾身の力を振り絞って串刺しのままのつばの距離まで王に近づき諸手の剣でアーサー王側頭部を兜ごと割り、ついに絶命した。

※この「『アーサー王の死』」の解説は、「モルドレッド」の解説の一部です。
「『アーサー王の死』」を含む「モルドレッド」の記事については、「モルドレッド」の概要を参照ください。

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