『アーサー王の死』
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「コンスタンティン3世」の記事における「『アーサー王の死』」の解説
トマス・マロリーの『アーサー王の死』では、コンスタンティンの暴君としての要素は完全に消去され、模範的な円卓の騎士の一人になっている。彼はコーンウォールのカドー卿の息子で、カドーに次いでアーサーと最も血が近いが、具体的な血縁関係は不明である。アーサーは実子モードレッドを認知していないため、姉の息子ガウェインが比較的血縁上では近いが、ガウェインよりもカドーとコンスタンティンの方が近いという。 アーサー王はローマ皇帝ルキウス・ティベリウスとの戦いに出征する際、年老いた高潔な騎士ボードウィン、カドーの息子コンスタンティン、および王妃グィネヴィアの三人を留守を預かる統治者に任命した。アーサーはさらに、カドーを除けばコンスタンティンが最も近い血縁者であることを理由に、自分が仮に遠征中に戦死した場合の正式な後継者はコンスタンティンとする、と言った。 コンスタンティンは円卓の騎士としての出番はほぼ無いが、ハンガリーの騎士アリーが「最も優れた騎士が傷口を調べてくれるまで」決して治らないという傷の呪いを受けた際に、アリーの傷を治そうとした円卓の騎士110人のリストには含まれている。 アーサー王がカムランの戦いで致命傷を負ってアヴァロンに去り、出家したランスロットが衰弱死した頃、コンスタンティンがイングランドの王に選出された。彼は気高い騎士であり、王国を立派に統治した。コンスタンティンは、元カンタベリー司教が隠者として暮らす庵を探し当て、再び司教として迎えた。しかし、司教と共に隠者として暮らしていたベディヴィアら十人の残存の円卓の騎士の勧誘には失敗し、彼らは隠者または聖職者として過ごすか、あるいは異教徒と戦うかして生涯を終えた。
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『アーサー王の死』(Le Morte d'Arthur)
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「モーガン・ル・フェイ」の記事における「『アーサー王の死』(Le Morte d'Arthur)」の解説
15世紀後半以降の文献。黒魔術を使う邪悪な魔女へ変更され、ティンタジェル公ゴルロイスとその妻イグレインとの間に生まれた三女の末娘とされた。 母イグレインがアーサーの父ユーサー・ペンドラゴンと再婚した後、キリスト教の修道院にて修行、魔術に通じ、修道院での堕落した教育で不思議な妖術を突然身に付け、異父弟アーサーの前に立ちはだかる。後に魔法使いマーリンは、彼女が魔力を磨くのを手伝い始める。 モルガンはアーサーの純粋な心を嫌悪し、アーサーとグィネヴィアの陥害と王位奪取を企むことを知り、アーサー王の最強の敵となる。円卓の騎士の一人、ランスロットの妻となるペレス王の娘エレイン姫の美しさを妬み、彼女を幽閉しランスロットを誘惑した。また、聖剣エクスカリバーの魔法の鞘(傷を癒す力と持つ者を不死にする力を誇る)をアーサーから盗み、恋人であるアコーロンに与えたことからアーサーがアコーロンを敵にまわして戦う窮地に陥った。後にモルガンが魔法の鞘を湖の中に投げ込んだが、これによってエクスカリバーはアーサーを守る不死の力を失い、やがてアーサーはモルゴース(モルガンの姉)との間の不義の子であるモルドレッドとの戦いで命を落とす事になる。作品によってはモルガンとモルゴースは同一人物として描かれる事もある。
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『アーサー王の死』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 00:32 UTC 版)
1470年ごろに完成したトマス・マロリーの『アーサー王の死』では、アーサーと異父姉モルゴースの近親相姦でできた不義の子とされる。ある時、夫のロット王の使者としてガウェインら四人の息子とやってきたモルゴースにアーサーは懸想し、姉とは知らずに一夜を過ごしてしまう。その後、アーサーの悪夢にグリフィンや蛇が現れて、王国を焼き払い、アーサーもこれらの怪物と戦って退治するが致命傷を負ってしまう。マーリンはモードレッドのことを暗示し、「5月1日に生まれた子供が、アーサーとその王国を滅ぼすだろう」と予言する。その結果、アーサー王は、従わなければ死刑と触れを出して、5月1日に領主と貴婦人の間に生まれた子供を集め、船に乗せて海に流した。中には生まれて四週間の赤子や、それ以下の赤子さえいた(四週間前に5月1日に生まれた子と、それより幼くて5月1日に生まれた子がいるのは論理的矛盾だが、マロリーの意図したところは不明)。多くの領主や直臣は反感を持ったが、アーサーよりもマーリンに責任があると思ったため、王への恐れや好意から沈黙を守った。しかし、モードレッドは奇跡的に岸に打ち上げられて生還、とある善良な男に見つけられて育てられ、14歳になった時点でアーサー王の宮廷に入っている。その後ロット王は、妻がアーサーと密通していたことを知って反抗勢力を作っており、ネロ王と合流してアーサー王を討とうとするが、マーリンの奸計で合流に失敗し、最終的に円卓の騎士ペリノア王によって殺害されている。 後にアーサー王の配下となったモードレッドは、ランスロットと共に行動したり、ペリノア王とオークニー王ロットの一族との争いで、親族にあたるオークニー側につき、ペリノアの息子で母モルゴースと不義の密通を重ねているラモラックを殺したりした。 アーサーがランスロットと敵対するきっかけをつくったのは、モードレッドとアグラヴェインの企みからであった。彼らは王妃グィネヴィアとランスロットの道ならぬ恋をアーサー王にばらそうと、その密会現場をとりおさえた。瞬く間にランスロット一人によってアグラヴェインを含む十二人の騎士が殺され、モードレッドも重傷を追って逃げ出した。この事件によって、アーサー王は最も信頼し、親友でもあったランスロットを敵に回した戦いを始めなければならなかったのである。 その後、アーサーはランスロットと戦うためにフランスに出兵し、モードレッドをイングランドの統治者に任命して国を委ねた。モードレッドはアーサーが留守にしているあいだに邪心を抱いて謀反を起こし、アーサーが外征で討死したという手紙を偽造して王位についた。そして、グィネヴィアを自分の妃に迎えようとしたが、グィネヴィアは表向き恭順を装い、隙を見てロンドン塔に籠城した。これらの裏切りにカンタベリー司教は諫言したが、聞き入れられなかったため、モードレッドを破門した後にグラストンベリーの周辺へ逃げて隠者となった。アーサーが裏切りを知り帰国を急ぐ段階になっても、当時、アーサー王の統治では戦いと争い以外の生活は無いという噂が広まっていたので、モードレッドには多くのイングランドの豪族・諸侯が味方した。 5月10日、ドーヴァーに上陸を試みるアーサー王との戦いでは、兄のガウェインを討ち取ったが(直接手を下したのがモードレッドかは不明)、次第にアーサーの軍勢に押され、ついには敗走した。モードレッドはさらにバラムの丘に陣を構えるが、再びアーサーに敗北し、カンタベリーへ逃走した。その後、聖霊降臨祭の次の月曜日にソールズベリの近くで決戦を行うことが取り決められ、アーサーはモードレッドに復讐ができると喜んだ。しかし、戦の前日、アーサーの夢の中に神から遣わされたガウェインが現れ、もし戦えばアーサーが死ぬこと、一ヶ月の休戦を締結すればランスロットが王の救援に来ることを告げる。アーサーとモードレッドの休戦交渉は一旦まとまりかけるが、不運なめぐり合わせから決裂してしまう。モードレッドは十万の兵を率いてアーサーと戦うが、血みどろの戦いに味方で生き残ったのはモードレッドただ一人、アーサー側も、アーサーとルーカン、ベディヴィアの三人だけであった。疲れ果て、剣を杖に休息しているところ、ルーカンの制止も聞かず復讐に逸り突撃してきたアーサーと一騎討ちを演じ、槍で胴体を突き抜かれる。死を覚悟したモードレッドは渾身の力を振り絞って、串刺しのまま槍のつばの距離まで王に近づき、諸手の剣でアーサー王の側頭部を兜ごと割り、ついに絶命した。
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