『アースキン・メイ』初版執筆(1844年)
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「アースキン・メイ (初代ファーンバラ男爵)」の記事における「『アースキン・メイ』初版執筆(1844年)」の解説
詳細は「アースキン・メイ (書籍)」を参照 議事規則本(英語版)『議会の法、特権、手続と慣習』(原題: "A Treatise upon the Law, Privileges, Proceedings and Usage of Parliament")、通称『アースキン・メイ』の初版をメイが上梓したのは、庶民院日誌の索引付け業務を完了してから5年後の1844年のことである。当時のメイは30歳手前であり、肩書は庶民院図書館員補佐のままであった。後世の庶民院日誌局秘書官マーティン・アトキンス(Martyn Atkins)は『アースキン・メイ』を執筆できた要因として、ヴァードンとともに庶民院図書館の業務に関わった経験と、すでに出版されていた議事規則本に触れたことを挙げている。 当時、1832年の第1次選挙法改正に伴う議事時間の不足は議事日程における争点になっており、研究者カリ・パロネン(Kari Palonen)によればこの非効率性が『アースキン・メイ』で扱われたテーマだったという。メイは第1次選挙法改正を「議案の通過は複雑で長い手順であり、1832年時点でもエリザベス1世の議会とそれほど違わなかった」と感じていた。 1830年代から40年代にかけて、イギリスはいわゆる鉄道狂時代を迎えており、鉄道敷設を求める私法律案(private bills)の請願が議会に殺到した。これらの請願が議事規則(standing orders)に従っているかの審査が法案委員会の大きな負担になっており、チャールズ・ショー=ルフェーブル(英語版)(庶民院議長在任: 1839 - 1857年)はこの職務を「これまでの庶民院に関する職務の中で最も骨の折れる仕事」と形容した。なお『アースキン・メイ』初版を出版したとき、メイは鉄道法案に関する解説書の執筆という商機に目をつけていたが、結局は議会に関する簡単な解説に留まった。 メイは本作の初版をショー=ルフェーブル議長に献呈し、ショー=ルフェーブルは「現状でもたいへん役に立ち、新版が出版されれば完成度が高くなるだろう」と評した。そしてメイは、後年の出世をショー=ルフェーブルに助けられることとなる。
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