アナトリア周辺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:00 UTC 版)
ドデカネス諸島最大の島、ロドス島(ロードス島)には紀元前10世紀頃にドーリス人がリンドス、イアリュソス、カメイロスのポリスを構築、さらにシチリア、リュキアに殖民市を形成していた。特にキオス島ではエウボイアからの植民者によるポリスが形成されており、このポリスはスパルタを除く最大の奴隷使用国であった。このキオスはリュディア、ペルシアと協定を一時、結んでおり、一時期、親ペルシアの僭主が統治していたが、イオニアの反乱で指導的役割を果たしている。また、サモス島にも同名のポリスが存在したが、このポリスの僭主ポリュクラテス(在位前550年頃–前522年)の頃に繁栄を迎え、詩人、芸術家らが集ったことがヘロドトスの『歴史』にも記述されており、その中に書かれる大神殿などはこの時代と推測されている。
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