コンマゲネ王国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 04:23 UTC 版)
紀元前162年、セレウコス朝のコンマゲネを統治するサトラップであったプトレマエウスはセレウコス朝の弱体化を感じ、パルティアを後ろ盾として独立を宣言した。 プトレマエウスの後継となったミトリダテス1世テオスは、ヘレニズム文化を取り入れると共にセレウコス朝の王女ラオディケ(en)を妻に迎え入れた。ミトリダテス1世はヘレニズムとペルシアの2つの文化を承継していると呼称した。また、これによってセレウコス朝との繋がりを強めることともなった。 ミトリダテス1世とラオディケの息子アンティオコス1世がミトリダテス1世の後継者として王位に即位したが、ポントス王ミトリダテス6世やアルメニア王国のティグラネス2世らがアナトリア周辺への勢力拡大を図る多難な時期であった。アンティオコス1世はミトリダテス6世討伐の為に共和政ローマが派遣した将軍グナエウス・ポンペイウスと同盟を結んで、ポントスやアルメニア、パルティア等から自らの国を守り抜き、ローマの半属国となったが独立自体は維持した。また、アンティオコス1世はゾロアスター教を信奉したと伝わっている。
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