アナトリア侵入後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 21:46 UTC 版)
また、キンメリオイ族はその名をトレレス族ともいい、あるいは後者が前者の一部族だともいうが、この部族はしばしば黒海右岸域や自分たちの地方に隣接する諸地域へ侵入し、時にはパフラゴニア(英語版) 地方へ入り、さらにプリュギアの諸地方へも入った。後者への侵入はミダスが雄牛の血を飲んで死の運命に身を任せたという話のある時の出来ごとだった。リュグダミスは自分の部族を率いてリュディア、イオニア両地方にまで進み、サルデイス市を陥れたが、キリキア地方で落命した。キンメリオイ、トレレス両族ともしばしばこのような侵略を行ったが、話によるとコボスの率いるトレレス族は最後にはスキュタイ族の王マデュスの手でその地方を追われた。 — ストラボン 第1巻第3章21 ストラボンのこの記述によれば、キンメリア人は紀元前695年にアナトリア中西部のフリュギア王国のミダス王を自殺に追い込み、紀元前670年~紀元前660年代初めにはアナトリア西部のリュディア王国の都サルディスを一時占拠した。
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