アナトリアのキュベレー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 02:14 UTC 版)
「キュベレー」の記事における「アナトリアのキュベレー」の解説
紀元前2千年紀にはキュベレーはヒッタイト人およびフリ人の間でクババ (Kubaba)、グババとして知られるようになった。クババは手にザクロと鏡を持った威厳のある婦人の姿で描かれ、ヒッタイト帝国の重要都市カルケミシュの守護神となっていた。 プリュギアではレアー/キュベレーはアグディスティス (Agdistis) として栄え、大商業都市ペッシヌース (Pessinos) に神殿が置かれた。これは地理家のストラボンによって言及されている。キュベレーの息子であり愛人であったアッティスが王女と結婚しようとしたのはこの都市でのことである。その時アグディスティス/キュベレーが畏怖すべき栄光と共に現れ、アッティスは自己去勢した。 古代プリュギアでのキュベレーのイメージは、典型的には建物の玄関にあるファサードにみられる。ファサードそれ自体がプリュギア高地にある岩を削って作られたモニュメントと関係がある。ベルトのある長いドレスを着、円筒形の背の高い帽子をかぶり、全身をヴェールで覆っている。通常、猛禽と壷を共にしていた。攻撃的だが従順なライオンも関連づけられる事があった。 その後、ペイディアスの生徒であった彫刻家アゴラクリトス (Agoracritos) が、後に規範的となったキュベレー像を作り上げた。王座に座ってはいるが、気品と母性が増している。完全に静止したライオンの首に手を乗せ、もう一方の手はタンブリン(ティンバロン)のような丸い輪を持つ太鼓を掴んでいる。その太鼓は満月を呼び起こさせるもので、聖なる月の牡牛の皮でカバーされている。 ミューシアでは Dindymus の山がキュベレーに捧げられた。
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