死
(落命 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/13 00:15 UTC 版)
死(し)とは、
注釈
- ^ 死の判定をする医療者について。原則として医師と歯科医師以外の者が患者の死亡を宣言する権限はない。消防機関の救急業務規程の中では、「明らかに死亡している場合」や「医師が死亡していると診断した場合」には、救急隊は患者を搬送しないと定められている。すなわち、それ以外の場合では、患者が生存している可能性があるものとして取り扱うことが求められている。「明らかに死亡」とは、断頭、体幹部の離断、死体硬直、死斑、腐敗、炭化、ミイラ化その他の明らかに生存状態とは矛盾する身体への損害(いわゆる社会死状態)をいう。社会死要件を満たさない場合、救急隊員は救命措置を開始後に、医師の診断を受けるまでそれをやめてはならない。病院到着時の診察で死亡が確認されることを、DOA(Dead on arrival = 病院到着時すでに死亡)という。
- ^ 実は意識の有無の判定も容易ではない。意識の停止は睡眠中や昏睡中にも起こりえるため、停止は一時的なものではなく、永続的で回復不能なものでなくてはならない。意識の停止がたんなる睡眠であった場合は脳波計で比較的簡単に確認できる。 だが、脳の一部の機能が失われたと外的にモニタできた場合でも、その状態で意識があるのか無いのか、判断できない場合が多い。
- ^ 一部の人は、脳幹が生きているかどうかを線引きに使えばいい、と主張している。だが、脳幹の機能が停止しているにもかかわらず、聴覚のほうは生きて機能を保っていて、周囲の人の言葉を理解している患者の事例も発見された。
- ^ 一部の人は、「人間の意識に必要なのは脳の新皮質だけである」と主張している。こうした人は「新皮質の電気的活性だけを基準に死の判定をすべきである」とする。"大脳皮質の死によってもたらされる認識機能の永続的で回復不能な消失が、死を判定する基準となる"と述べる人もいる(関西医科大学大学院法医学生命倫理学研究室による関西医科大学法医学講座)。"人の思考と人格を回復する望みはないから"と考えるのである。
- ^ 酸欠によって大脳皮質の機能が失われた場合でも、脳の電気的活性が脳波計が感知するにはあまりに低かった場合、何も存在しなくても、脳波計はノイズ(見かけの電気信号)を感知することがある。(病院では、脳波計を使って死を判定をするときは、病院内で広く空間を隔てるなどの精巧な実施要綱があるという。)
- ^ 米国では、2005年に、植物状態におちいったテリー・スキアボの尊厳死を巡る事例が、アメリカの政治を脳死と人為的な生命維持の問題に直面させた。一般的に、そのように死の判定を巡って争われた事例で、脳の死因は無酸素状態によって起こる。大脳皮質はおよそ7分間の酸欠で死に至る。
- ^ 人工心肺などの医療技術が登場したことによって、心肺停止状態でも恒常的に脳を生かし意識を保つことも可能になった。また、脳機能のみが廃絶しても心肺機能を人工的に維持することが可能となり、心肺機能が保たれているが脳の活動を示す所見がない状態を「脳死」、心肺停止による心肺脳全ての停止を「心臓死」と呼ぶようになった。また、人間の心臓や肺に代わる生命維持装置、あるいはペースメーカーなどによって生命を保つことが可能な場合が現れた。また、心肺蘇生術と迅速な細動除去の発達によって、鼓動や呼吸は再開させることができる場合も現れ、死に関する従来の医学的な考え方でも割り切れなくなってきた。そして心拍や呼吸の停止を「臨床死」と呼びわけることも行われるようになった。「死」をめぐる状況は複雑化してきているのである。
- ^ こういう提案をする人は、「不可逆的」の意味を理解するには人間の例で考えるとわかりやすい、と言う。人間の髪の毛や爪は心臓・肺・脳が全て停止していても、数日間は伸び続ける。この間は毛根細胞は生きているが、心肺脳が全て停止している場合、やがては毛根の活動も停止してゆくことは免れない。こう考えて、「個体の状態の不可逆的な活動停止への変化が死」だと言う。この考え方では、逆に事故などで心肺停止状態に陥っても心肺蘇生によって息を吹き返した時には、この間の心肺停止は可逆的なので死とは言わない、のだという。(出典:関西医科大学大学院法医学生命倫理学研究室による関西医科大学法医学講座
- ^ 養老孟司は、このような「死に向かって不可逆的に進行する過程になる状態」が死だ、とする定義は、もっともらしく聞こえはするが、根本的に問題がある、と指摘している。というのは、そもそも人間は全員死ぬ。つまり、人間は全員、生まれた時から死に向かって不可逆的に進行する存在であり、後戻りできない。そもそも人は誰でも、最初からその状態で生きているのに、「不可逆的に……」といったことを定義として持ち出す論者は、ある人が、論者がイメージする"死に向かって不可逆的に進行する過程" なるものに、いつから入ったのか、どうやって判定するのか? と、養老はその定義・論法の問題点を指摘している。(養老孟司 2004, p. 69)
出典
- ^ a b 広辞苑 第五版 p.1127
- ^ a b 大辞泉
- ^ 養老孟司 2004, p. 55.
- ^ a b 養老孟司 2004, p. 69.
- ^ a b c 養老孟司 2004, p. 57.
- ^ “脳死とは|日本臓器移植ネットワーク”. 日本臓器移植ネットワーク. 2022年6月8日閲覧。
- ^ 養老孟司 2004, p. 67.
- ^ 養老孟司 2004, p. 59.
- ^ a b 養老孟司 2004, p. 58.
- ^ a b c 養老孟司 2004, p. 70.
- ^ a b 村上陽一郎『生と死への眼差し』青土社 2000年(平成12年)、ISBN 4791758625
- ^ “サンクスレター|日本臓器移植ネットワーク”. 日本臓器移植ネットワーク. 2022年6月8日閲覧。
- ^ 養老孟司 2004, p. 68.
- ^ 関西医科大学大学院法医学生命倫理学研究室サイト掲載情報関西医科大学法医学講座
- ^ a b c d e 養老孟司 2004.
- ^ エドガー・アラン・ポー『早すぎた埋葬』:青空文庫)
- ^ a b Aubrey D.N.J, de Grey (2007). “Life Span Extension Research and Public Debate: Societal Considerations” (PDF). Studies in Ethics, Law, and Technology 1 (1, Article 5). doi:10.2202/1941-6008.1011 2011年8月7日閲覧。.
- ^ “死亡” (PDF). 厚生労働省. 2023年8月13日閲覧。
- ^ http://www.stat.go.jp/data/chouki/02.htm
- ^ http://www.stat.go.jp/data/chouki/zuhyou/02-28.xls
- ^ a b c d e f g 関西医科大学法医学講座 - 死亡診断書
- ^ 「自然死」には老衰による死などが含まれる。
- ^ 病死か外因死か不詳の場合には「不詳の死」となる。
- ^ 死亡診断書(死体検案書)記入マニュアル - 厚生労働省
- ^ 日本人の死因3位に浮上した「肺炎」
- ^ [1]
- ^ a b c マイクル・B・セイボム「日本版のCarl Beckerによる序文」『「あの世」からの帰還 臨死体験の医学的研究』日本教文社、1986年、i, ii, iii頁。ISBN 978-4531080427。
- ^ a b マイクル・B・セイボム「セイボムによる はしがき」『「あの世」からの帰還 臨死体験の医学的研究』日本教文社、1986年、xiii-xv頁。ISBN 978-4531080427。
- ^ Michael B. Sabom, Recollections of Death, 1982
- ^ 注:セイボム、キューブラー=ロスらは医学者・科学者である。
- ^ マイクル・B・セイボム「第十一章」『「あの世」からの帰還 臨死体験の医学的研究』日本教文社、1986年、303-315頁。ISBN 978-4531080427。
- ^ “タヒる(たひる)”. numan. 2020年6月9日閲覧。
- ^ “【今日のゲーム用語】「床ペロ」とは ─ 事態の重みを、なんとなく軽くしてくれる効果も?”. インサイド. 2022年5月18日閲覧。
- ^ なお、古代ギリシャの悲劇は、作者の死と共に演じられなくなる慣習があったが、唯一アイスキュロスの作品はあまりの人気のために死後も上演された。アリストパネスの喜劇『蛙』に、それについて言及したくだりがある。
落命
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「ワグネリアン (競走馬)」の記事における「落命」の解説
ジャパンカップ18着に敗退してから、肝臓をきたして、栗東トレーニングセンター内競走馬診療所・入院馬房に入院する。治療が続いて症状が落ち着いたため、一時放牧にも出たが、すぐに年末に悪化し再入院。年をまたいで2022年、辛うじて7歳を迎えることができたが、1月5日18時頃に入院馬房にて、原因不明のまま落命する。同日付でJRAの競走馬登録を抹消され、競走馬引退となった。ワグネリアンの亡骸は解剖された結果、死因は、鶏の卵くらいの大きさの胆石が胆管に詰まったことによって引き起こされた多臓器不全だったことが判明する。馬に胆石が見つかったのは、日本中央競馬会において初めてだったという。 クラシック最高峰の東京優駿優勝馬が引退することなく、その生涯を終えたのは、1935年ガヴアナー、1940年イエリユウ、1951年トキノミノル、1965年キーストンに続いて史上5頭目であり、平成時代の優勝馬としては史上初めての事例だった。
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