日本往生極楽記とは? わかりやすく解説

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にほんおうじょうごくらくき〔ニホンワウジヤウゴクラクキ〕【日本往生極楽記】

読み方:にほんおうじょうごくらくき

平安時代往生伝1巻慶滋保胤(よししげのやすたね)著。寛和元〜2年98586)ごろ成立聖徳太子以下45人の往生伝をまとめたもの。


にほんおうじょうごくらくき 【日本往生極楽記】

寂心

日本往生極楽記

主名称: 日本往生極楽記
指定番号 2493
枝番 00
指定年月日 1996.06.27(平成8.06.27)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 書跡・典籍
ト書
員数 1冊
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  『日本往生極楽記』は慶滋保胤著したわが国初の往生伝で、後続往生伝にも多大な影響与えたが、とくに『往生要集』や『今昔物語集』との密接な関係はよく知られている。成立については『続本朝往生伝』には寛和年中の作とみえるが、通常所収記事中最も時代の降る千観永観元年-九八三年)伝以降本書にふれた『往生要集』の成立する寛和元年(九八五)四月以前考えられている。また行伝来注記から、本書現行本の形態となったのは兼明親王一説には具平親王薨去永延元年(九八七)をさほど降らない時期であったことが知られる
 前田家本鎌倉時代前期書写になる称名寺伝来古写本で、体裁袋綴装。現装は薄黄新補表紙付した明朝装である。表裏表紙付し、旧表紙中央には「日本往生極楽記」の墨書外題右下に「湛睿」の伝領記を記し見返しには「聖徳太子」以下七名分標目掲げる。本文料紙楮紙用いるが、湛睿の代に補写された旧表紙および第一丁と紙質異にするほか、各料紙天地には修理に伴う裁断の跡がみえている。
 本文首題以下著者名記し、序以下本文は半八行に奔放な行体真名書写し、巻末には所載人数の記記がみえ、尾題までを完存する文中聖徳太子伝より東大寺明祐伝途中までには、本文とほぼ同時代の墨傍訓、送仮名、返点、声点等が稠密に付されている。本書の内容を他本と比較するに、成意伝と智光頼光伝の順が異なるほか、語句異同もみえ、ことに藤原義孝伝来片仮名和歌加えられている点は他本と大きく異な特徴である。
 巻末には「寛永元年五月十一日書写畢、同日一交了」の書写校合奥書がみえるが、この奥書部分本文同筆であり、料紙筆跡仮名点からみて本書書写鎌倉中期に降るものでないことは明白である。この「寛永年号類似の元号表記誤った可能性否定できないが、この点については後考をまちたい。

日本往生極楽記

主名称: 日本往生極楽記
指定番号 2497
枝番 00
指定年月日 1996.06.27(平成8.06.27)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 書跡・典籍
ト書 応徳三年八月九日仁豪書写奥書
員数 1帖
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  天理大学本は体裁型粘本で、料紙共紙の左肩に題簽外題付すが、見返八双部分痕跡から、もとは具引唐紙装していたとみられる見返には別筆で本書所載人数表記朱書している。
 料紙楮紙打紙に押界を施し、半七行、一行一一から一三前後にやや速筆真名をもって書写する。本文首題以下尾題にいたる四二話、四五人の往生伝を完存する本文の構成群書類従本系と同一であるが、一部類従本の脱を補うほか、前田家本などの誤りをただす点も少なくなく、全文わたって傍訓、送仮名声点稠密に付されている。
 巻末奥書によれば本書応徳三年一〇八六)八月九日、後に天台座主となった仁豪念仏修行のため比叡山の自房において書写し、同二九日に加点したことが知られ成立後およそ一世紀経て書写された現存最古写本である。
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日本往生極楽記

読み方:ニホンオウジョウゴクラクキ(nihon’oujougokurakuki)

分野 仏教伝記

年代 平安中期

作者 慶滋保胤


日本往生極楽記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/02 03:47 UTC 版)

日本往生極楽記
日本往生極樂記
著者 寂心(慶滋保胤
発行日 寛和年間(985年 - 987年)頃
ジャンル 往生伝
日本
言語 漢文
次作 続本朝往生伝
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日本往生極楽記』(にほんおうじょうごくらくき)は、平安時代中期に慶滋保胤(? - 1002年)が編纂した往生伝。成立は寛和年間(985年 - 987年)頃と見られている。『日本往生伝』とも[1]

概要

「往生伝」とは、極楽往生をしたものの伝記またはその伝記を集めたもので、『日本往生極楽記』は日本で最古の往生伝とされる。この書は、聖徳太子をはじめとして、皇族から庶民にいたる計45人の極楽往生の伝記を載せ、保胤の浄土信仰に基づいて編纂されたものである[1]

本書は保胤が在俗(寛和2年(986年)以前)の間に一旦完成し、兼明親王に加筆を頼んだ。兼明はさらに聖徳太子と行基の伝を追加すべしとの告を得たが、果たせずに薨じた。そこで、保胤が加筆し、兼明の夢告を果たしたという[1][2][3]

聖徳太子・行基・善謝・円仁・隆海の伝は六国史に依拠しており、円仁・増命空也の伝は、それぞれ『慈覚大師伝』・『扶桑略記』所引伝・空也に拠っている。他、三十人ほどは出典不明であり、著者の見聞に拠ると思われる[4][1][2]

刊行本

内容

  1. 聖徳太子
  2. 行基菩薩
  3. 伝燈大師(善謝)
  4. 慈覚大師
  5. 澄海律師
  6. 増命僧正
  7. 無空律師
  8. 明祐律師
  9. 僧都済源
  10. 智光・頼光両僧
  11. 成意十禅師
  12. 東塔住僧某甲
  13. 兼算十禅師
  14. 尋静十禅師
  15. 春素十禅師
  16. 昌延僧正
  17. 弘也沙門
  18. 伝燈阿闍梨(千観
  19. 僧明請
  20. 僧真頼
  21. 僧広道
  22. 住僧勝如
  23. 修行僧(箕面滝の修行僧)
  24. 住僧平珎
  25. 増祐沙門
  26. 僧玄海
  27. 真覚沙門
  28. 薬連沙門
  29. 尋祐沙弥
  30. 尼某甲(光孝天皇孫)
  31. 尼某甲(寛忠姉)
  32. 尼某甲(伊勢国飯高郡上平郷人)
  33. 高階真人(高階良臣
  34. 藤原義孝
  35. 源憩
  36. 越智益躬
  37. 女仏子伴氏
  38. 女弟子小野(小野喬木女)
  39. 女弟子藤原
  40. 女人息長近江国坂田郡女人)
  41. 一老婦(伊勢国飯高郡老婦)
  42. 一婦女(加賀国婦女)

『日本往生全伝 1 日本往生極楽記(慶滋保胤)』, 国立国会図書館を基に作成

脚注

  1. ^ a b c d 日本往生極楽記』 - コトバンク
  2. ^ a b 行基伝後注
  3. ^ 中尾正己「続本朝往生伝の往生観」, 『印度學佛教學研究』29巻1号, 1980, p. 361
  4. ^ 中尾正己「日本往生極楽記の撰述について」, 『印度學佛教學研究』25巻1号, 1976, pp. 285-287

関連項目




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