鎌倉時代前期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 23:19 UTC 版)
盛長晩年の頃から安達の名字を名乗る。由来は『吉見系図』によれば比企氏所縁の武蔵国足立郡に由来すると言う。また奥州合戦以降に陸奥国(福島県)安達郡を領して本貫とした事によるとも考えられており、はっきりしていない。鎌倉中の甘縄に屋地を与えられて邸を構え、安達邸は将軍家がたびたび渡御する仮御所となった。盛長の子・景盛は3代将軍源実朝とその母北条政子の信頼厚い側近として仕えた。景盛の娘松下禅尼は3代執権北条泰時の嫡子北条時氏に嫁ぎ、4代執権北条経時、5代執権北条時頼を産む。宝治元年(1247年)の宝治合戦で有力御家人三浦氏を排斥し、執権北条氏の外戚として安達氏の地位を固めた。景盛以降、秋田城介の官を世襲した。初代盛長の通称であった「九郎」は安達氏嫡子の呼称となり、家職となった秋田城介の「城」を冠して「城九郎」とも呼ばれた。
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