鎌倉時代~戦国時代とは? わかりやすく解説

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鎌倉時代~戦国時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 15:05 UTC 版)

法華経」の記事における「鎌倉時代~戦国時代」の解説

鎌倉新仏教においても法華経重要な役割果たした大念仏唱え融通念仏宗の祖となる良忍は後の浄土系仏教先駆として称名念仏主張したが、華厳経法華経を正依とし、浄土三部経を傍依とした。 曹洞宗祖師である道元は、「只管打坐」の坐禅成仏実践法として宣揚しながらも、その理論裏づけは、あくまでも法華経教え中に探し求めていこうとし続けた臨終時に彼が読んだ経文は、法華経如来神力であった日蓮は、「南無妙法蓮華経」の題目唱え唱題行)、妙法蓮華経帰命していくなかで凡夫の身の中にも仏性目覚めてゆき、真の成仏の道を歩むことが出来る(妙は蘇生の儀也)、という教え説き法華宗各派の祖となったそれまで祈祷懺悔滅罪のために法華経読誦写経盛んに行われていたが、日蓮教学法華宗は、この経の題目題名)の「妙法蓮華経」(鳩摩羅什漢訳本の正式名)の五字重んじ南無妙法蓮華経五字七字の題目)と唱えることを正行しょうぎょう)とした所に特色がある。 一方で浄土宗の祖である法然浄土真宗開いた親鸞などは、比叡山万人成仏説く法華経学んだのちに、持戒難行を必要としない称名念仏万人成仏具体的な手段として見出し専修念仏説いた浄土教法華経戦い時として激し衝突至った法華一揆安土問答)。

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鎌倉時代~戦国時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 02:09 UTC 版)

南部氏歴史年表」の記事における「鎌倉時代~戦国時代」の解説

南部氏北奥羽本格的な活動開始するのは、南北朝争乱の頃からである。元弘3年1333年5月鎌倉幕府滅亡して後醍醐天皇による建武の新政始まり鎮守府将軍任じられ足利尊氏には北条泰家遺領である外が浜糠部郡与えた尊氏離反すると鎮守府将軍職は北畠顕家移り陸奧守として義良親王奉じて多賀城国府赴任し随行した根城南部氏第3代の南部師行北奥各郡の検断奉行として任じられた。 1189年 文治 5年 奥州平泉攻撃 1215年 建保 3年 11月 21日 南部光行鎌倉死去1322年 元亨 2年 安藤氏の乱 1324年 4年 正中の変 1333年 正慶 3年 5月 南部政長新田義貞鎌倉攻め加わり、その功により、甲斐国倉見山陸奥国糠部郡七戸郷を与えられるその後陸奥国下向する。 後醍醐天皇北条氏滅亡受けて京都帰り北畠顕家陸奧守任じる1334年 建武元年 建武の新政 南部師行糠部郡郡奉行と郡検断兼ねる国代として任じられる大光寺合戦 1335年 2年 3月 南部師行北条得宗領外ヶ浜内摩部郷(現青森市)のうち、泉田、潮方(後潟)、中沢与えられる7月 北条時行兵を挙げ鎌倉に入る。(中先代の乱10月 足利尊氏鎌倉反旗を翻すと、曾我氏安藤家季以下安藤氏一族呼応1336年 建武 3年延元元年足利尊氏御教書受けた安藤家季合戦奉行となる。津軽曾我氏などがそれに従い藤崎城平内城の南朝方の軍勢と戦う。 1338年 暦応元年3年5月 北畠顕家南部師行ら、和泉国石津討死。(石津の戦い1339年 2年4年8月 後醍醐天皇吉野において崩御義良親王帝位継がれる1340年 3年興国元年12月 南部政長根城南部氏5代当主となる。 1341年 4年2年) 春 栗谷川合戦宮方勢、岩手斯波両郡を制圧6月 津軽曾我氏糠部郡南部氏の間で抗戦が始まる。 1343年 康永 2年4年陸奧国司北畠顕信、滴石(雫石)に逃げる。 1352年 文和元年正平 7年南部信長多賀府中合戦出陣中に北朝方に転じる1373年 応安 6年文中 2年南部守行一族伴って糠部に下る。(三戸南部糠部定着1386年 至徳 3年3年11月 北畠氏、「奥州新国司」を自称して浪岡入部1392年 明徳 3年元中 9年) 閏10月 南北朝合一1393年 4年 根城南部氏第8代当主南部政光甲斐本領室町幕府返上根城移住する1407年 応永14年 4月 根城南部氏第10代当主南部光経、修理亮推挙18年 南部守行八戸南部氏共同仙北刈和野安東鹿季と合戦領地確保。(秋田合戦1417年 24年 北畠氏仲介により安東領と南部領の領境を定める。 1418年 25年 8月 南部氏上洛。馬100疋、金1000両を将軍献上1428年 正長元年 十三湊南部勢に掌握される。 1432年 永享 4年 10月 南部義政藤崎城攻める。敗れた安藤盛季・康季、蝦夷地敗走幕府調停する1435年 7年 和賀惣領家と須々孫氏内訌和賀稗貫動乱1437年 9年 関東地方発生した永享の乱影響により、奥州においても葛西氏大崎氏合戦始める(永享嘉吉の乱1440年 12年 結城合戦 1442年 宝徳 2年 安藤盛季・康季、南部義政ため十三湊を追われる翌年12月小泊から蝦夷地松前逃れる1451年 嘉吉 3年 蠣崎蔵人信純、錦帯城を築く。 1452年 享徳元年 武田信広田名部蠣崎知行許され蠣崎氏名乗る1453年 2年 津軽安東氏第9代義季が、再び南部軍戦い討死。その養子第10代政季が南部氏捕虜となり、下北配流。のちに再び蝦夷地逃避1455年 3年 享徳の乱 1456年 康正 2年 4月 糠部南部義政秋田出陣、湊安東氏交戦南部敗退。(秋田高寺合戦1457年 3年 2月 陸奧田名部において蠣崎蔵人兵乱起る2月 根城南部氏南部河内守政経兵船をもって田名部進攻4月 田名部一帯南部政経により制圧され蠣崎蔵人蝦夷地逃れる4月 南部政経軍功により田名部全土所領加えられる1467年 応仁元年 1月 京都攪乱起る。(応仁の乱2月に (三戸南部政盛は斯波政直の軍触によって、葛西氏秋田氏と共に信夫郡に征上、伊達蘆名氏等と合戦したが兵糧続かず帰陣1468年 2年 南部家信、仙北支配断念し三戸撤退1477年 文明 9年 11月 応仁以来兵乱略治まる。 1483年 15年 南部彦四郎の乱(『南部史要』) 1485年 17年 8月 南部政盛、葛西気仙郡有住郷に侵入し敗績した。 1491年 延徳 3年 久慈南部光信津軽西浜鼻和郡種里城におく。 1498年 明応 7年 南部弾正康時が津軽外ヶ浜の堤浦(青森市)に入部1502年 文亀 2年 久慈光信、種里から大浦進出し大浦氏名乗る1521年 大永元年 6月 志和郡山にて三戸南部氏和賀氏合戦1533年 天文 2年 南部安信弟高信、津軽起きた反乱鎮圧津軽郡代に任命1534年 3年 6月 大崎領内内乱惹起大崎義直の族新田頼遠が主家叛く。(大崎内乱8月 三戸南部氏北上地方に南侵し柏山氏合戦敗退する。 1536年 5年 6月 大崎再乱陸奥国守護職伊達稙宗江刺左衛門督対し大崎袋中出兵するよう申し送る10月 伊達稙宗の子小僧丸が大崎高兼の娘を娶る形で養子として送り込まれ大崎氏伊達氏従属したく。 1539年 8年 6月 家臣赤沼備中放火により、本三戸城聖寿寺館)が焼失八戸義継、早世のため弟次郎(治義)が家を継ぐ。(八戸家内訌) 7月 南部晴政上洛将軍足利義晴より偏諱拝領1540年 9年 南部氏雫石戸沢氏攻めて岩手郡より出羽仙北郡角館走らせる1541年 10年 南部晴政三戸南部家24当主となる。 1555年 弘治 元年 浪岡中将具永が死去1562年 永禄 5年 4月 浪岡具運所領をめぐり叔父川原御所具信と対立から川原御所の乱。 1565年 8年 7月 鹿角郡及び比内郡においてに、南部氏秋田安東氏との間で衝突。(鹿角合戦1569年 10年 正月 新田左馬助行政卒去し、八戸政栄出向いて会葬している留守狙い櫛引氏八戸根城城を襲撃1568年 11年 正月 安東愛季鹿角郡侵攻。長牛館攻める。 3月 南部信直、晴信の陣代として鹿角出陣1569年 12年 南部晴政鹿角奪回1571年 元亀 2年 2月 大浦為信石川城攻略石川高信自害8月 八戸政栄櫛引領に侵入櫛引方は大敗1572年 3年 8月 田子城主南部左衛門尉高信津軽三郡を平定

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