安土宗論
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安土宗論(あづちしゅうろん)は、1579年(天正7年)、安土城下の浄厳院で行われた浄土宗と法華宗の宗論。安土問答とも称される。織田信長の斡旋により、浄土宗の僧(玉念・貞安・洞庫)等と、法華僧(日珖・日諦・日淵)等の間で行われた。
注釈
- ^ 下総弘教寺住職(デジタル版 日本人名大辞典+Plus『貞安』)、後に大雲院(銅閣寺)開山。
- ^ 現・近江八幡市。開山は玉念。
- ^ 浄土宗の開祖法然が選択集で、聖道門・雑行を捨てよ、閉じよ、閣(さしお)き、抛(なげう)ち、称名念仏に帰依する様に主張したと日蓮が浄土宗を難詰したこと。
- ^ ここに「法華云ふ」が入らないと意味が通じない。大田牛一が入れ忘れたとするのが通説。
- ^ 法華三部経、法華経の開経とする無量義経で、釈迦仏が「四十余年、説法をしたが未だ真実は顕していない」と説いたとされること。
- ^ この発言の真意は、五時のうちの方等時で説いた「妙」を捨てるかどうかと問うている(この法論の最大のポイントなので、後述)。
- ^ なお、この証文は後に豊臣秀吉が法華宗側に返却した。以て法華宗は再び折伏活動をする様になったと伝えられる。
出典
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