鎌倉殿中問答
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 00:50 UTC 版)
日印の弟子、日静が記録したとされる鎌倉殿中問答記録(所収:『改定史籍集覧二七』)には、鎌倉幕府執権北条高時により日蓮の弟子の日朗に諸宗との問答対決の命を下され、高齢の日朗に代わった門下の日印が、文保2年(1318年)12月20日から翌元応元年(1319年)9月15日にかけて3回にわたり問答を交わして諸宗派をことごとく論破し、これにより題目宗の布教を鎌倉幕府が許可したとある。但し吾妻鏡や鎌倉年代記などの史料にはこれについての記載はない。
※この「鎌倉殿中問答」の解説は、「日印」の解説の一部です。
「鎌倉殿中問答」を含む「日印」の記事については、「日印」の概要を参照ください。
- 鎌倉殿中問答のページへのリンク