鎌倉期以降の在庁官人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:24 UTC 版)
鎌倉期に入っても、在庁官人を中心とした国衙行政は継続していった。しかし、鎌倉幕府が各地に配置した地頭は、在庁官人の支配範囲へ侵出していく。また、東国では多くの在庁官人が将軍と主従関係を結び御家人身分を獲得し、地頭にも任じられた。鎌倉中期の元寇を契機として、幕府権力が西国へも浸透していき、在庁官人による国衙行政は次第に弱まっていった。 室町期になると、守護に強力な権限が付与され、国衙は守護の支配下に置かれることとなった。国衙の権力は守護権力へと一元化され、国衙行政は消滅への道をたどった。そうなると、在庁官人という地位も存立基盤を失うこととなり、在庁官人は国人と呼ばれる階層へ移行していった。 国人となった在庁官人は、その多くが守護の被官に組み込まれ、在庁官人の管理していた国衙領は守護の支配する守護領へ再編成されていき、守護領国制の確立へとつながっていった。一方で、守護支配下に入ることを嫌い、独自性を持った国人として存続を図った旧在庁官人もいた。また、南北朝期の混乱に乗じて、在庁官人から守護へ成長した者(例:大内氏)もいたのである。
※この「鎌倉期以降の在庁官人」の解説は、「在庁官人」の解説の一部です。
「鎌倉期以降の在庁官人」を含む「在庁官人」の記事については、「在庁官人」の概要を参照ください。
- 鎌倉期以降の在庁官人のページへのリンク