第6、第7の哨戒 1944年4月 - 8月
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「ソーフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第6、第7の哨戒 1944年4月 - 8月」の解説
4月8日、ソーフィッシュは6回目の哨戒で日本近海に向かった。4月25日、ソーフィッシュは北緯30度32分 東経140度10分 / 北緯30.533度 東経140.167度 / 30.533; 140.167の地点で護衛なしの5,000トン級輸送船を発見し、魚雷を4本発射。魚雷は2本が命中し、5,000トン級輸送船は船体をV字型に折って沈没していった、はずであったが日本側の記録に該当する船舶がなく、戦後記録は削除された。哨戒期間の後半、ソーフィッシュは哨戒海域を豊後水道近海に変えたが、戦果はなかった。5月27日、ソーフィッシュは49日間の行動を終えてマジュロに帰投した。 6月22日、ソーフィッシュは7回目の哨戒でロック (USS Rock, SS-274) およびタイルフィッシュ (USS Tilefish, SS-307) とウルフパックを構成しルソン海峡方面に向かった。7月18日朝、ソーフィッシュは北緯21度52分 東経119度47分 / 北緯21.867度 東経119.783度 / 21.867; 119.783の地点で付近を航行中のヒ69船団から、機関故障で後落したタンカーはりま丸(石原汽船、10,045トン)を発見。魚雷を計9本発射し、2本が命中したと判断された。しかし、はりま丸は実際には間一髪で回避しており、そのまま高雄に入港した。その後、ソーフィッシュ以下のウルフパックは、ウルトラ情報(英語版)により、付近を遣独潜水艦作戦から帰還途中の伊29が通過することが判明したため、待ち伏せして撃沈することを命じられた。7月25日に一度は伊29を発見したが見失い、追跡の上翌26日午後、ソーフィッシュはバリンタン海峡で伊29を再び発見した。16時45分、ソーフィッシュは北緯20度10分 東経121度50分 / 北緯20.167度 東経121.833度 / 20.167; 121.833の地点で伊29に向けて魚雷を4本発射して3本を命中させ、ドイツからの数々の貴重物資もろとも伊29を葬り去った。仕留め損ないに備えてタイルフィッシュも攻撃のために寄ってきていたが、その必要はなかった。7月31日未明には、北緯19度15分 東経120度50分 / 北緯19.250度 東経120.833度 / 19.250; 120.833の地点で2つか3つばかりの目標を探知し、魚雷を3本発射して爆発と閃光を確認するが、命中と沈没は確認されなかった。8月15日、ソーフィッシュは55日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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