第6、第7の哨戒 1943年8月 - 1944年1月
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「ガトー (潜水艦)」の記事における「第6、第7の哨戒 1943年8月 - 1944年1月」の解説
9月6日、ガトーは6回目の哨戒でソロモン諸島方面に向かった。ジョンストン島で燃料を補給した後、ギルバート諸島方面の偵察を行いつつ南に向かい、9月19日にツラギ島に寄港。トラック方面の交通路やブーゲンビル島方面での偵察を実施し、10月8日には北緯05度27分 東経152度14分 / 北緯5.450度 東経152.233度 / 5.450; 152.233の地点で2隻の輸送船に対して魚雷を発射するも、命中しなかった。10月19日未明にも北緯02度45分 東経151度30分 / 北緯2.750度 東経151.500度 / 2.750; 151.500の地点で3隻の輸送船を中心とする輸送船団を発見して攻撃し、大型輸送船2隻に打撃を与えたと考えられた。2日後の10月21日には日本潜水艦に対して魚雷を3本発射したが、回避された。10月28日、ガトーは50日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。 11月18日、ガトーは7回目の哨戒でビスマルク諸島方面に向かった。11月30日、ガトーは僚艦レイトン (USS Raton, SS-270) とともに哨戒中、北緯01度56分 東経147度21分 / 北緯1.933度 東経147.350度 / 1.933; 147.350のマヌス島北方海域でパラオからラバウルに向かう輸送船団を発見。レイトンは2日前からこの輸送船団に喰らいつき、2隻の陸軍輸送船、百合丸(大阪商船、6,787トン)と北光丸(山下汽船、4,928トン)を撃沈していた。ガトーは船団に接近したものの警戒が厳しかったので、レイトンが護衛艦を引きつける役を自ら引き受け、護衛の第39号駆潜艇と浮上砲戦を交わした。レイトンが護衛艦を誘き出したことによって隙が出来、この間隙を突いてガトーは陸軍輸送船ころんびあ丸(三菱商事、5,617トン)に魚雷を2本命中させて撃沈した。12月8日には、北緯01度05分 東経145度14分 / 北緯1.083度 東経145.233度 / 1.083; 145.233の地点で2隻の輸送船に対して魚雷を発射し、4,500トン級輸送船を撃破したと報じる。12月16日には救命ボートに乗って漂流していた日本の軍人を救助。12月20日、サイパン島とムサウ島間の交通路を哨戒中のガトーは、北緯01度26分 東経148度36分 / 北緯1.433度 東経148.600度 / 1.433; 148.600の地点でラバウルに向かう第1182船団を発見。海軍徴傭船常島丸(飯野海運、2,927トン)を撃沈し、直ちに深々度潜航に移ったが、この時護衛の第28号駆潜艇と水雷艇鴻が爆雷攻撃を行ってきた。ガトーは水深100メートルを越える深度に避退していたものの、爆雷攻撃によって水密区画が損傷し、このため一時船体の数区画に浸水が起こった。ガトーは爆雷攻撃から何とか逃れ、2時間後に浮上したところ、後部甲板に不発爆雷が1個転がっているのを発見した。この不発爆雷はゴムいかだに乗せて始末した。ガトーは応急修理を行って哨戒を続行し、12月27日には南緯00度13分 東経147度31分 / 南緯0.217度 東経147.517度 / -0.217; 147.517の地点で日本潜水艦と交戦。12月29日には南緯00度24分 東経146度00分 / 南緯0.400度 東経146.000度 / -0.400; 146.000の地点で対空戦闘を行い、零式水上偵察機に命中弾を与えた。1944年1月5日から6日にかけてはグリーン島に探査部隊を送り込んだ。1月10日、ガトーは54日間の行動を終えてミルン湾に帰投した。
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