第6、第7の哨戒 1943年4月 - 7月
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「シール (サーモン級潜水艦)」の記事における「第6、第7の哨戒 1943年4月 - 7月」の解説
4月14日、シールは6回目の哨戒でパラオ方面に向かった。4月18日にミッドウェー島に寄港ののち、5月1日までにはパラオ近海の哨戒海域に到着した。5月2日、シールはパラオ西方で貨物船を発見し雷撃したが失敗し、逆に航空機の制圧を受けた。2日後の5月4日、シールは北緯06度50分 東経134度30分 / 北緯6.833度 東経134.500度 / 6.833; 134.500のアンガウル島近海でラバウルからパラオに向かう輸送船団を発見し、特設給油船さんくれめんて丸(三菱商事、7,354トン)を撃沈した。しかし、それ以外には獲物には恵まれなかった。6月3日、シールは50日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。2週間かけて次期哨戒のための改修と訓練を行った。 6月24日、シールは7回目の哨戒で日本近海に向かった。7月2日、シールは魹ヶ崎近海の哨戒海域に到着。3日後の7月5日には3隻の貨物船を発見して魚雷を発射するも命中しなかった。7月8日、シールは輸送船団を発見し、魚雷を3本発射した。しかしこの時、シールはまたもや油漏れを発生させていた。上空警戒の零式水上観測機はシールから流れ出る油紋を発見し、船団護衛中の第1号掃海艇や特設掃海艇第一鶚丸(日本海洋漁業、265トン)、水雷艇千鳥などが駆けつけて爆雷攻撃を行った。シールは油漏れの箇所が分からないまま水中を逃げ回り、水上艦艇と水上機は動く油紋目がけて爆雷や対潜爆弾を投下。10時間もの間に投じられた爆雷と爆弾の数は72発にも及んだ。シールは撃沈こそ免れたが、油漏れはなおも止まらず、哨戒を打ち切ることとなった。7月24日、シールは30日間の行動を終えて真珠湾に帰投。修理を受けた。
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