第6、第7の哨戒 1943年4月 - 7月とは? わかりやすく解説

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第6、第7の哨戒 1943年4月 - 7月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/10 21:19 UTC 版)

シール (サーモン級潜水艦)」の記事における「第6、第7の哨戒 1943年4月 - 7月」の解説

4月14日シール6回目哨戒パラオ方面向かった4月18日ミッドウェー島寄港ののち、5月1日までにはパラオ近海哨戒海域到着した5月2日シールパラオ西方貨物船発見し雷撃したが失敗し逆に航空機制圧受けた2日後5月4日シール北緯0650東経13430分 / 北緯6.833度 東経134.500度 / 6.833; 134.500のアンガウル島近海ラバウルからパラオに向かう輸送船団発見し特設給油船さんくれめんて丸(三菱商事、7,354トン)を撃沈した。しかし、それ以外には獲物には恵まれなかった。6月3日シール50日間行動終えてミッドウェー島帰投2週間かけて次期哨戒のための改修訓練行った6月24日シール7回目哨戒日本近海向かった7月2日シール魹ヶ崎近海哨戒海域到着3日後の7月5日には3隻の貨物船発見して魚雷発射する命中しなかった。7月8日シール輸送船団発見し魚雷3本発射した。しかしこの時、シールまたもや漏れ発生させていた。上空警戒零式水上観測機シールから流れ出る油紋を発見し船団護衛中の第1号掃海艇特設掃海艇第一丸(日本海洋漁業265トン)、水雷艇千鳥などが駆けつけ爆雷攻撃行ったシールは油漏れ箇所分からないまま水中逃げ回り水上艦艇水上機は動く油紋目がけて爆雷対潜爆弾投下10時間もの間に投じられ爆雷爆弾の数は72発にも及んだシール撃沈こそ免れたが、油漏れはなおも止まらず哨戒打ち切ることとなった7月24日シール30日間行動終えて真珠湾帰投修理受けた

※この「第6、第7の哨戒 1943年4月 - 7月」の解説は、「シール (サーモン級潜水艦)」の解説の一部です。
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