第6、第7、第8の哨戒 1943年9月 - 1944年3月
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「ノーチラス (潜水艦)」の記事における「第6、第7、第8の哨戒 1943年9月 - 1944年3月」の解説
9月16日、ノーチラスは6回目の哨戒でギルバート諸島方面に向かった。この哨戒では、来るガルヴァニック作戦に備えるためのギルバート諸島の写真偵察を主任務として命じられた。これらの島々は、前年のマキン奇襲以来戦力が強化されていると考えられていた。ノーチラスは潜望鏡越しにタラワ、クマ、ブタリタリ、アベママ、そしてマキンの各島々の地形と海岸線を撮影。これらの写真の大部分は、作戦で大いに活用された。ノーチラスは写真撮影を終えると真珠湾に向かった。10月17日、ノーチラスは31日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 11月8日、ノーチラスは7回目の哨戒でギルバート諸島方面に向かった。ガルヴァニック作戦開始に伴い、ノーチラスは水陸両用部隊の幹部や兵その他を乗せ、同方面で救助や気象調査などの特別任務に服した。11月18日に担当海域に到着し、気象情報を通報。以後2日間は救助任務にあたる予定だった。ところが、11月19日夕刻、駆逐艦リングゴールド (USS Ringgold, DD-500) はノーチラスを発見し、敵潜水艦と誤認して5インチ砲で砲撃。そのうちの1発がノーチラスの司令塔に命中したが、幸いにして不発弾であった。2時間に及ぶ応急修理で、哨戒を続けることが可能になった。ノーチラスはアベママ(英語版)方面に移動し、同島に第7歩兵特別部隊とオーストラリア陸軍特殊部隊の混成部隊78名を上陸させることとなった。11月20日深夜から11月21日にかけて、ノーチラスはアベママに接近し、部隊を無事上陸させた。15時過ぎに一旦島から離れ、翌11月22日に火力支援のため島に再接近。砲台を攻撃してアベママ守備隊のうち14名が戦死し、残りは自決したと考えられた。アベママは11月26日に本隊が到着するまで確保され、のちに同島にはマーシャル諸島攻略のための航空基地が建設された。12月4日、ノーチラスは27日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 1944年1月27日、ノーチラスは8回目の哨戒でマリアナ諸島方面に向かった。3月6日早朝、ノーチラスは1隻の輸送船と3隻の護衛艦を発見。輸送船はサイパン島からの引揚者を乗せていた元病院船あめりか丸(大阪商船、6,070トン)だった。ノーチラスはあめりか丸に魚雷2本を命中させて撃沈した。3月21日、ノーチラスは57日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がジョージ・A・シャープ(アナポリス1929年組)に代わった。その後、ノーチラスはフィリピン方面でのゲリラ支援活動に使用されるため、4月26日にブリスベンに向けて出港し、5月14日に到着した。
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