第6、第7、第8の哨戒 1942年12月 - 11月
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「シーレイヴン (潜水艦)」の記事における「第6、第7、第8の哨戒 1942年12月 - 11月」の解説
12月18日、シーレイヴンは6回目の哨戒でバンダ海、セラム海およびパラオ方面に向かった。1943年1月9日、シーレイヴンはパラオ西水道沖で陸軍船夕映丸(栗林商船、3,217トン)を撃破。1月14日には北緯09度00分 東経130度50分 / 北緯9.000度 東経130.833度 / 9.000; 130.833の地点でマニラ行きの輸送船団を発見し、陸軍輸送船白羽丸(辰馬汽船、5,693トン)に4本の魚雷を発射して撃沈し、返す刀で特設駆潜艇第一元日丸(日本水産、216トン)も撃沈して、最初の確認された戦果を上げた。2月10日、シーレイヴンは55日間の行動を終えて真珠湾に帰投。その2日後にメア・アイランド海軍造船所でのオーバーホールのため本国へ向かった。シーレイヴンは5月7日にオーバーホールを終え、5月25日に真珠湾へ戻った。 6月7日、シーレイヴンは7回目の哨戒でマリアナ諸島方面に向かった。この哨戒でシーレイヴンは南鳥島を偵察したが、敵艦とは遭遇しなかった。7月29日、シーレイヴンは43日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。 8月20日、シーレイヴンは8回目の哨戒で日本近海に向かった。9月1日に塩屋埼灯台近海に到着して以降、本州北東部を哨戒した。しかし、この哨戒では攻撃に値する目標に遭遇することはなかった。10月6日、シーレイヴンは47日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がメルヴィン・H・ドライ少佐(アナポリス1934年組)に代わった。
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