第6、第7、第8の哨戒 1943年12月 - 1944年6月
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「キングフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第6、第7、第8の哨戒 1943年12月 - 1944年6月」の解説
12月16日、キングフィッシュは6回目の哨戒で南シナ海に向かった。1944年1月2日夜、キングフィッシュは北緯07度40分 東経112度15分 / 北緯7.667度 東経112.250度 / 7.667; 112.250の地点で5隻の輸送船団を発見。日付が1月3日に変わった直後、北緯08度06分 東経112度30分 / 北緯8.100度 東経112.500度 / 8.100; 112.500の地点で夜間浮上攻撃により魚雷を3本発射して2本が輸送船に命中したと判断される。目標が沈んだと判断した後、ボルネオ島ミリの方向に逃げる輸送船団を追撃し、護衛艦に警戒しつつ輸送船団に再接近した上、夕刻に北緯06度58分 東経112度02分 / 北緯6.967度 東経112.033度 / 6.967; 112.033の地点で7,500トン級タンカーに対して魚雷を4本発射し、そのうちの3本を命中させて撃沈。一連の攻撃で海軍徴傭タンカー隆栄丸(日東汽船、5,142トン)を撃沈した。1月7日朝には北緯08度29分 東経116度22分 / 北緯8.483度 東経116.367度 / 8.483; 116.367のパラワン島沖で護衛のない2隻の臨時船団を発見し、南沙諸島の危険水域をすり抜けて追跡の上、夜になって北緯09度30分 東経117度10分 / 北緯9.500度 東経117.167度 / 9.500; 117.167の地点で船団に再接近して浮上攻撃により魚雷を4本発射し、2本が応急タンカー第三伏見丸(増田合名、4,292トン)に命中して撃沈した。キングフィッシュは続く攻撃で7,300トン級タンカーに対して魚雷を4本発射し、1本が命中したと判断される。攻撃後は危険水域を脱出し、バラバク海峡に針路を向けた。ミンダナオ海、スリガオ海峡を抜け、1月22日にミッドウェー島に寄港。1月26日、キングフィッシュは42日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 2月19日、キングフィッシュは7回目の哨戒でマリアナ諸島方面に向かった。この哨戒では、サイパン島、グアムと神戸、台湾を結ぶ交通路を警戒。3月30日から31日にかけては、北緯16度08分 東経145度17分 / 北緯16.133度 東経145.283度 / 16.133; 145.283のサイパン島近海で爆雷攻撃に見舞われたものの大したことはなかった。その一方で、よい獲物にはありつけず攻撃機会はなかった。4月9日、キングフィッシュは49日間の行動を終えてマジュロに帰投した。 5月1日、キングフィッシュは8回目の哨戒で小笠原諸島方面に向かった。しかし、この哨戒でも目標不足により戦果はなかった。魚雷を1本だけ発射したが、それは事故によるものであった。6月19日、キングフィッシュは50日間の行動を終えて真珠湾に帰投。メア・アイランド海軍造船所でオーバーホールに入った。また、艦長がタルボット・E・ハーパー少佐(アナポリス1937年組)に代わった。
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