第6、第7の哨戒 1943年11月 - 1944年1月
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「ヘリング (潜水艦)」の記事における「第6、第7の哨戒 1943年11月 - 1944年1月」の解説
11月15日、ヘリングは6回目の哨戒で東シナ海方面に向かった。12月14日未明、ヘリングは北緯33度10分 東経125度00分 / 北緯33.167度 東経125.000度 / 33.167; 125.000の済州島西方でシ206船団を発見し、まず最初の目標に対して魚雷を2本発射し、2本とも輸送船筥崎丸(日本製鐵、3,948 トン)に命中してこれを撃沈。続いて別の目標に対して魚雷を2本発射するも、これは命中しなかった。三番目の目標を7,000トン級タンカーに定め、魚雷を2本発射して1本が命中したものと判断された。12月27日には病院船瑞穂丸(大阪商船、8,506 トン)を目撃。12月31日から1944年1月1日、ヘリングは新年を跨いで第4222船団を追跡し、まず12月31日深夜の攻撃で「千鳥型水雷艇」に対して魚雷を4本発射し、うち2本が命中したものと判断される。続いて1月1日未明には北緯32度15分 東経138度02分 / 北緯32.250度 東経138.033度 / 32.250; 138.033の青ヶ島沖で2つの目標に対して魚雷を3本ずつ計6本発射、うち2本が特設航空機運搬艦名古屋丸(南洋海運、6,072 トン)に命中して名古屋丸を撃沈し、1本がもう一つの目標に命中したと判断された。1月8日、ヘリングは56日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。艦長がデイヴィッド・ザブリスキ・ジュニア少佐(アナポリス1936年組)に代わった。 2月14日、ヘリングは7回目の哨戒で日本近海に向かった。豊後水道、九州沿岸を中心に哨戒し、3月20日には北緯31度32分 東経133度01分 / 北緯31.533度 東経133.017度 / 31.533; 133.017の地点で推定23ノットで航行する2隻の駆逐艦を発見し、浮上攻撃で魚雷を6本発射するが命中しなかった。3月23日夜にも北緯31度35分 東経133度10分 / 北緯31.583度 東経133.167度 / 31.583; 133.167の地点で初春型駆逐艦と思われる艦艇に向けて魚雷を3本発射し、1本命中させたと判断された。翌3月24日にミッドウェー島に針路を向けるが、その翌日の3月25日未明には、北緯31度50分 東経135度07分 / 北緯31.833度 東経135.117度 / 31.833; 135.117の地点で鹿児島から鈴鹿に向かう空母龍鳳と駆逐艦早霜に接触するが攻撃はできず、早霜も逆探でヘリングを探知して戦闘配置を令したが、双方とも何事も起こらなかった。3月28日未明には北緯33度05分 東経140度03分 / 北緯33.083度 東経140.050度 / 33.083; 140.050の地点で7,000トン級輸送船に対して魚雷を4本発射したが、命中しなかった。4月7日、ヘリングは54日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。
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