第6、第7の哨戒 1944年10月 - 1945年3月
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「パーゴ (潜水艦)」の記事における「第6、第7の哨戒 1944年10月 - 1945年3月」の解説
10月28日、パーゴは6回目の哨戒でハッド (USS Haddo, SS-255) とともに南シナ海に向かった。エクスマス湾(英語版)に立ち寄った後、哨区に進出。11月13日未明、パーゴは北緯08度42分 東経116度51分 / 北緯8.700度 東経116.850度 / 8.700; 116.850のパラワン水道で「初春型駆逐艦」を発見し、魚雷を4本発射したが命中した様子はなかった。感づかれて爆雷攻撃を受けたものの、被害はなかった。11月26日には、北緯04度55分 東経114度06分 / 北緯4.917度 東経114.100度 / 4.917; 114.100のボルネオ島バラム岬沖で海防艦3隻に護衛された特設運送船(給油)雄鳳丸(飯野海運、5,226トン)を発見。魚雷を4本発射し、すべての魚雷が命中した雄鳳丸は、後部が沈んだが前部は浮いていた。攻撃後、海防艦千振らは爆雷攻撃を行い、パーゴは爆雷攻撃により一部のバルブが破壊され、レーダーや発電機も損傷した。何とか立ち回って致命的な危機を脱したパーゴは、修理を行った上で哨戒を続行した。その間、雄鳳丸の浮いていた部分は千振に曳航されていった。12月21日、パーゴは53日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 1945年1月15日、パーゴは7回目の哨戒でインドシナ半島方面に向かった。1月31日、パーゴは北緯10度59分 東経109度06分 / 北緯10.983度 東経109.100度 / 10.983; 109.100のインドシナ半島サンジャック沖で対潜掃討中の海防艦満珠に向けて魚雷を計9本発射し、魚雷は満珠の艦首に命中し中破させた。2月4日から6日にかけては、西沙諸島の永興島にある日本軍の測候所や発信所に対して特別任務と艦砲射撃を実施した。2月10日には、2隻の大型タンカーを基幹とする輸送船団を発見し、艦首と艦尾の発射管から計10本の魚雷を発射。4つの爆発が聞こえたので4本の命中と判定し、直後からの爆雷攻撃も切り抜けた。2月20日未明、パーゴは北緯12度27分 東経109度40分 / 北緯12.450度 東経109.667度 / 12.450; 109.667のカムラン湾北東海域で南方進出途上の駆逐艦神風と野風を発見して魚雷を4本発射し、野風に1本命中させて撃沈した。パーゴの野風撃沈は、アメリカ潜水艦による最後の駆逐艦撃沈として記録されている。パーゴはこの後アメリカ本国への帰還を命じられ、その途中の3月3日にサイパン島に寄港した。3月13日、パーゴは54日間の行動を終えて真珠湾に帰投。3月25日にメア・アイランド海軍造船所に到着してオーバーホールに入り、6月17日に終わった。
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